やおい

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やおいとは、女性読者のために創作された、男性同性愛を題材にした漫画や小説などの俗称。特にポルノとして描かれた性描写のある作品、二次創作作品を指すことがある。

概要

漫画アニメ等の原作の男性キャラクターを使用して、男性同士の性愛関係を描いた二次創作作品や、男性同性愛を題材にした女性向けの漫画小説など、あるいはその性愛関係を指して「やおい」と呼ぶ。場合によっては、男性同士の間で性愛関係がなくても「やおい」と呼ぶ事がある(この場合、「ボーイズラブ」と同義)。

「801」や「やい」(「やおい」を「や○い」と隠して記しているうち、雑誌「ファンロード」において読者が遊びで○に中に「さ」を入れたものが広まった)などの隠語で表記されることもある。類似の概念を指す言葉として「ボーイズラブ(BL)」という語もあるが、こちらはやおいの中でも一次創作に特化した意味で使われることが多い。欧米では「スラッシュ」と呼ばれ、語源については下記カップリングの項を参照のこと。やおい愛好者の女性を腐女子(ふじょし)と呼び、男性の愛好者の事は腐男子腐兄)と呼ぶ。(成人の女性は貴腐人とも呼ばれる)これらは愛好者の自虐的な呼称としても使われることがある。

やおい作品は主に漫画小説などの形態を取る。趣味により好みのキャラクターや人間関係が分かれるため、一つのアニメ作品から様々なカップリングが誕生する。同じ作品を題材としていてもカップリングが異なると海より深い溝があると言われる。カップリングの表記法については、カップリングボーイズラブの項を参考。

漫画家のよしながふみは、二人がお互いの力を認め合って、相手が本当に困った時には手を貸してやる関係が「やおい」であると定義し、したがって男女でも「やおい」と呼びうる、としているが、これはよしなが独自の解釈であり、一般的ではない。

ほとんどは架空のキャラクター同士での恋愛を描いているが、実在の人物(男性アイドルスポーツ選手ミュージシャンお笑い芸人など)をキャラクターとして使用する人もいる(通称「ナマモノ」)。しかし、本人や関係者の目にふれると問題になりかねないため、作品に描かれることが敬遠される傾向がある。

一方、ゲイ男性や同性愛を弄び、それらを揶揄・侮蔑している、つまり性的少数者に対する人権侵害だという批判もある。また、実在の人物に関する架空の性的関係を取り上げることや、レイプ等の未成年者を対象にした暴力を伴う性描写は法的・倫理的な問題が発生する可能性がある。 表現の自由を尊重するとともに、セクシュアルハラスメント差別用語ヘイトスピーチのなどの問題が俎上に挙がってきている。

来歴

語源は、女性向けアニメファン同人誌だと言われる。

70年代に登場した花の24年組と呼ばれる少年同士の恋愛を描いた少女漫画家(竹宮惠子萩尾望都大島弓子山岸凉子)や、宇宙戦艦ヤマトなどアニメブームの影響を受け、少女たちの間で同人誌がブームになっていた。作品の多くは、4ページ程度の粗製乱造の書き捨てもので「山なし」「落ちなし」「意味なし」と呼ばれ、内容が少年愛を扱っていた(当時はホモ落ちと呼ばれていた)ので、「やおい」が少年愛を意味するようになっていった。

また、イデオロギー的唱導者として古くは小説家の森茉莉や、栗本薫(中島梓)らの存在も抜きには語れない。

「やおい」という名称が登場するまでは「美少年もの」「ホモマンガ」「お耽美」などの呼び方がされていた。少年愛雑誌の代表誌JUNEからJUNE系と呼ばれた時期もあった。どれも現実の男性同性愛から性的な生々しい部分を捨象し、ファンタジー化したものである。

初期では、1980年頃、坂田靖子の主催する漫画同人らぶりの機関紙「らっぽり」誌上で「やおい特集」が組まれ、坂田靖子、波津彬子らの(彼女らの言うところの)前述の3つ、山・落ち・意味がない男同士の絡みが描かれた。ただし、濃厚なものではなく、二人が抱き合うカットの次は、翌朝のタバコのカットに移る、といった、今から見ればソフトなものであった。

最初に「やおい」と呼ばれたアニメ同人誌のジャンルは「六神合体ゴッドマーズ」「キャプテン翼」で、「やおい」は主にアニメ系同人誌で使われていた。オリジナルや小説の同人誌では「JUNE」が主だったが、いつのまにか「やおい」で通るようになった。元々は婉曲的な隠語のような語感だったが、近年は「やおい」も露骨な語感になったのか、「ボーイズラブ」「BL」と言い換えているところもある。


近年、商業的戦略の一環としてやおいを意識したと思われるアニメ作品等の主題歌がオリコンチャートで相次いで上位に食い込むなど、新たな分野でもマーケットが拡大しつつある。

その知名度が上がりつつある反面、少女漫画などでやおいやBLについて作品中で触れると、愛好者がそれを公にされる事を嫌う為か他意はなくとも非難の対象になる事がある(あさりちゃん紳士同盟†でそれぞれ当時の用語が出ている)。


やおいをめぐる論考

なぜやおいになるのか

一般的に「やおい」の愛好者は、その理由を次のように論じている。

  • キャラクターに対する愛情
  • 好きなキャラクターが(自分以外の)女性と愛し合うのが許せない
  • 好きなキャラクター以外の第三者を物語に介入させたくない
  • 発祥はどうあれ、現在は単なるフィクション(物語の類型)の一パターンでしかない

一方、作家や専門家による説としては以下のようなものがある。

  • 女らしさに対する嫌悪 … かつての少年愛作品に対しては、思春期の少女が(既存の)女らしさに対し自己嫌悪を抱き、男になって男を愛したいと思うことが発生の背景にある、といわれていた。たとえば、唐沢俊一は、やおい及びBLは女性が自らの女性性を嫌悪した結果生み出されたとよく説明している。本人もやおいを手がける中島梓も、『タナトスの子供たち』において同種の説明をし、社会学者上野千鶴子やユング派心理学の第一人者河合隼雄もやはり同様の趣旨のことを述べており、いままでは最も一般的な説明であった。この嫌悪感については、無意識のフェミニズムとも言われることもあるし、社会の女性蔑視が女性である少女自身に内面化された結果と言われることもある。しかし近年、女体化など、「女らしさ」への嫌悪では説明しがたい作品が現れて来てもいる。
  • 性同一性障害の可能性 … 榊原史保美は、その著書『やおい幻論』で、「やおいになるのは、その作者・読者がFtM(性同一性障害の一つで、肉体は女性であるが精神は男性である状態)でかつゲイ(同性愛、若しくは両性愛)だからではないか」という説を提唱し、また自身もFtMゲイかもしれないと発言している。即ち、やおいを好む女性は精神が男性でしかもゲイであるため、男性を愛することができる(言わば「二重にねじれている」ため一見普通の異性愛に見える)にもかかわらず相手(男性)側には「女性として」愛されることしかできず、精神は男性であるので「男性として」愛されたい・愛したいという気持ちがあるがそれは現実世界では非常に難しいことであるため、それをファンタジーであるやおい作品に投影しているとするものである。しかし、巨大なやおい業界に関わる女性の全てがFtMであるとは考え難く、かつ性転換願望のある女性が極めて少ないこととも矛盾し、この説の信憑性は極めて疑わしいといえる。
  • 異性愛の安全なシミュレーション … 藤本由香里は、今のところやおいは過激な男女関係の安全なシミュレーションの域を出ておらず、これによって女は性関係において見られる側、受動的な側の立場から解放され、能動的な側、見る側の視線をも獲得したと述べている。

やおいと男性同性愛

やおい作品には伝統的に

  1. 登場する男性キャラクターが同性同士の恋愛においても自分は異性愛者であると主張している。
  2. 登場人物がセックスその他において「受け」と「攻め」に分かれ、固定化された擬似男女的な性役割を演じている。
  3. いつもアナル・セックスをする。
  4. レイプが多い。

といった特徴が多く見られる。このジャンルが産まれてから相当の時間を経ており、ある程度の市民権を持った現状では作り手も受け手(異性愛の女性だけでなく、一部の男性同性愛者を含む腐男子や、一部の女性同性愛者を含む)も『架空の物』として楽しんでいる者が大半であるものの、このことが実際の男性同性愛を知るものには奇妙に感じられるのも事実であり、やおい作品ややおい愛好者に現実の男性同性愛者が違和感と反発をもつ原因となっているようだ。

溝口彰子は、やおい作品にはゲイ・アイデンティティの忌避が顕著であり、やおい作品における男同士のカップリングは男女間のロマンチック・ラブを男性間の関係に置き換えたもので、強力な異性愛中心主義とホモフォビアに彩られていると指摘している(「ホモフォビックなホモ、愛ゆえのレイプ、そしてクィアなレズビアン-最近のやおいテキストを分析する」『クィア・ジャパン』Vol.2)。もっとも、やおいも多様化しており、近年の作品には上記の傾向が必ずしも当てはまらないようになってきている。


近年のやおいについては、従来の背徳的なイメージが薄れ、男性向けの作品同様に、萌えとしてのデータベース的消費がされる傾向が強まってきている。ただし男性向け作品に顕著な萌え属性の組み合わせよりも、カップリング要素へのこだわりが、やおいには濃厚である。また、同性愛者のリアルな姿に近い、等身大の男性を描く傾向も生まれてきている。

やおいを論じた文献

  • 上野千鶴子 『発情装置』1998/01 (筑摩書房)
  • 榊原史保美 『やおい幻論 ―「やおい」から見えたもの』 1998/06 (夏目書房
  • 中島梓 『タナトスの子供たち ― 過剰適応の生態学』 1998/10 / 文庫版 2005/05 (筑摩書房)、『コミュニケーション不全症候群』
  • 溝口彰子「ホモフォビックなホモ、愛ゆえのレイプ、そしてクィアなレズビアン-最近のやおいテキストを分析する」『クィア・ジャパン』Vol.2 2000/04 (勁草書房)
  • 西村マリ 『アニパロとヤオイ (オタク学叢書)』 2001/12 (太田出版
  • 永久保陽子 『やおい小説論 ― 女性のためのエロス表現』 2005/03 (専修大学出版局)
  • 水間碧 『隠喩としての少年愛―女性の少年愛嗜好という現象』 2005/02(創元社)
  • 熊田一雄 『“男らしさ”という病?ーポップ・カルチャーの新・男性学』2005/09(風媒社

関連項目