ミラ

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ミラMira)はくじら座ο星(ο Cet)で、赤色巨星の代表的なものである。最も有名な脈動変光星で、ミラ型の代表星である。2.0等と10.1等の間を約332日の周期で変光するが、極大等級も周期も必ず一定になるとは限らない。スペクトル型は極大時には M5e だが、極小時には M9e になる。

直径は平均して太陽の440倍あり、光度は極大時には太陽の250倍に達する。距離は100光年、220光年、500光年、820光年などと資料によりまちまちだが、『天文年鑑』2007年版によると400光年、ヒッパルコス衛星年周視差の測定結果から計算すると418光年となっており、ミラの距離は400光年~500光年が有力と考えられる。

ミラは実視連星でもあり、赤色巨星の主星(ミラA)と伴星(ミラB)からなる。ミラBも不規則に明るさを変化させる変光星であり、変光星名をくじら座 VZ(VZ Cet)という。ミラBは降着円盤を伴う白色矮星だと考えられている。

ミラに関する年表

  • 紀元前2世紀:カール・マニティウスによれば、ヒッパルコスの 「エウドクソスとアラトスの 『ファイノメナ』の注解書」 でミラについて言及している条項があるという。
  • 紀元前134年頃:ミューラーとハルトヴィッヒによれば、ヒッパルコスはミラについて言及していたという。
何丙郁(Ho Peng-Yoke)によれば、この年にヒッパルコスが見た新星(プリニウスの 『博物誌』 など、通説ではさそり座に出現したとされる)がミラだったと主張している。ただ、この説だと前のマニティウスの主張と矛盾することになる。
  • 紀元1世紀:ヨハン・バイエルによれば、くじら座の 「こぶ」 あるいは 「湾曲部」 に位置する星(ミラのこと)についてはヒュギヌスと無名氏が言及しているという。
  • 紀元前後:金井三男は 『聖書』 に登場するベツレヘムの星=ミラ説を主張している。
  • 1070年12月25日:何丙郁は、中国の文献に記録されている客星がミラだったと主張している。
  • 1592年11月23日:何丙郁は、韓国の文献に記録されている客星がミラだったと主張している。(何丙郁は日付を「11月28日」と誤っているという)
  • 1594年2月20日:何丙郁は、韓国の文献に記録されている客星がミラだったと主張している。

固有名

ミラは、ファブリツィウスによって発見されて以来、長らく新星と考えられていた(しかしながら、数年後には再発見されていたのであるから、今でいう回帰新星ということになる)。そのため、ロワーエの星図やヘヴェリウスの星表、フラムスティードの星表などではいずれも新星として扱われていた。

18世紀の後半になって、『フラムスティード星図』 のパリ・第2版(1776年)で Variante、同パリ・第3版(1795年)で Changente と記されており、この頃には変光星として認知されていたと考えられる。ミラ(Mira)という固有名は、上記ヘヴェリウスの論文の表題に由来するものであるが、実際に使われたのはボーデによる 『フラムスティード星図』 のベルリン版(1782年)が最初である。

しばしば星座名を伴ってミラ・ケーティー(Mira Ceti、「くじら座の不思議星」)ともいう(以前はよく 「ミラ・ケチ」 と表記された)。類例として、デネブ・キュグニー(はくちょう座α星)、スピカ・ウィルギニス(おとめ座α星)、プロキシマ・ケンタウリ(ケンタウルス座α星C)がある。

また、ミラはよく 「くじら座の心臓」 に当たるといわれるが、別名をコルム・ケーティー(Collum Ceti、ラテン語で 「くじらの頚」 の意)という。ちなみにヘヴェリウスは、星表では Nova in Collo Ceti (くじらの頚にある新星)と記している。

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