上坂冬子

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上坂 冬子(かみさか ふゆこ、1930年 - )、本名・丹羽 ヨシコ(にわ よしこ)は、日本の評論家トヨタ自動車工業の事務員時代に鶴見俊輔の紹介で「庶民列伝の会」に参加。『思想の科学』1959年2月号から、「職場の群像」と題して1950年代前半のトヨタ自工における労働争議を背景とした作品を発表した。

経歴[編集]

1930年生まれ[1]

壮年の頃、愛知県挙母市に住み、トヨタ自動車工業の事務員として働いていた[1]。この頃、しばしば鶴見俊輔に手紙を送り、鶴見の紹介を受けて、京都で開かれていた「庶民列伝の会」に参加するようになった[2]

その後、ペンネーム・上坂冬子で雑誌『思想の科学』に投稿をするようになり、評論家として知られるようになった[3]

『思想の科学』1959年2月号から、「職場の群像」と題して、1950年代前半のトヨタ自工における労働争議を背景とした作品を発表したところ、トヨタ自工の組合幹部から鶴見宛に筆者の本名を特定した上で掲載停止を求める手紙が届き、鶴見が黙殺したことがあった[4]

付録[編集]

脚注[編集]

参考文献[編集]