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*1940年(昭和15)7月、[[コックス事件]]{{Sfn|大谷|1957|pp=74-96}}。
 
*1940年(昭和15)7月、[[コックス事件]]{{Sfn|大谷|1957|pp=74-96}}。
 
*同年8月、[[救世軍]][[救世軍弾圧事件|弾圧事件]]を指揮{{Sfn|大谷|1957|pp=97-111}}。
 
*同年8月、[[救世軍]][[救世軍弾圧事件|弾圧事件]]を指揮{{Sfn|大谷|1957|pp=97-111}}。
*1941年(昭和16)4月、[[京都]]憲兵隊長{{Sfn|大谷|1973|p=187}}
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*1941年(昭和16)4月、[[京都憲兵隊]]{{Sfn|大谷|1973|p=187}}
*同年7月、[[第1野戦憲兵隊]]司令部員{{Sfn|大谷|1973|p=187}}
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*同年7月、[[関特演]]のため動員され、[[第1野戦憲兵隊]]司令部付となる。8月初に[[宇品]]を出航して旧[[満州]]の[[東安]]、[[新京]]に駐屯。{{Sfn|大谷|1973|p=187}}
 
*同年、憲兵大佐
 
*同年、憲兵大佐
*1942年(昭和17)1月、[[憲兵司令部]]{{Sfn|大谷|1973|p=187}}
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*1942年(昭和17)1月、[[憲兵司令部]]付となり、東京へ移動{{Sfn|大谷|1973|p=187}}。占領地の軍政担当要員となり、同年2月26日に[[羽田空港|羽田]]を出発し、[[サイゴン]]を経て同年3月6日に[[シンガポール]]の[[カラン飛行場]]に到着。同月より、[[マライ軍政監部#警務 (治安) 部長|第25軍(のちマライ軍政監部)警務部]]長(-1943年8月){{Sfn|大谷|1973|p=187}}
*同年3月、[[マライ軍政監部#警務 (治安) 部長|第25軍(のちマライ軍政監部)警務部]]長(-1943年8月){{Sfn|大谷|1973|p=187}}
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*1944年(昭和19)7月末、[[横浜憲兵隊]]長{{Sfn|大谷|1957|pp=137-141}}
*1944年(昭和19)7月末、[[横浜憲兵隊]]長{{Sfn|大谷|1957|pp=137-141}}
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*同年11月、東京憲兵隊長。
*同年11月、東京憲兵隊長
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*1945年(昭和20)4月中旬、[[吉田茂]]を逮捕{{Sfn|大谷|1957|pp=13-73}}。
 
*1945年(昭和20)4月中旬、[[吉田茂]]を逮捕{{Sfn|大谷|1957|pp=13-73}}。
 
*同年5月22日、[[東京上野憲兵隊事件]]に関与。
 
*同年5月22日、[[東京上野憲兵隊事件]]に関与。
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[[Category:滋賀県出身の人物]]
 
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[[Category:日本占領下のシンガポール]]
 
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[[Category:1976年没]]
 
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大谷 敬二郎(おおたに けいじろう、1897年9月7日 - 1976年12月9日)は、日本陸軍軍人憲兵将校。最終階級は憲兵大佐

経歴[編集]

戦前[編集]

戦後[編集]

1945年8月21日、東部憲兵司令官更迭。同年9月 広島転任。同年11月1日 憲兵全員に復員命令が下り、同月2日、東京へ帰還。憲兵司令部は米軍に接収され、2,3日おきに九段下の都電停留所前の残務整理部に通った。[7]

同月中旬、長崎県上波佐見町の、戦時中家政婦をしてもらっていた藤田春恵の実家に寓居。東京の残務整理部から呼出しを受けて、東京-佐賀を何度か往復した。[8]

同年12月末 中国復員部の要請で広島へ[9]

1946年1月、東京へ帰還[9]捕虜搭乗員の取扱いでの戦犯指名をおそれ、再び長崎へ[10]。のち佐賀県嬉野温泉へ移った[10]

同年4月18日、嬉野温泉の寓居でBC級戦犯容疑者として出頭命令を受けた[11]。同月22日に東京の自宅へ戻ったが、同月24日から家政婦・平野真紗子と御嶽駅から奥多摩の山中へ入り、失踪[12]

平野は同年5月14日に自宅にいる大谷の長男・清と連絡するため里に下りたところを警視庁に逮捕された[13]

同年7月中旬まで神金村雲峰寺近くの鉱泉宿に滞在した後、1946年7月中旬から1947年3月まで大菩薩峠下の山荘「大菩薩山荘」、1947年4月から6月まで日川鉱泉に滞在し、同月に九州へ移動。1948年秋まで長崎県下波佐見村の藤田の親戚筋の家に寓居した。[14]

1948年6月から、長崎港外の伊王島炭鉱、佐世保大島炭鉱などへ茶の行商に出ていた[15]

同年9月、寄寓先の地権関係の書類を代筆したところ、村の駐在にマークされ、同年11月に佐世保の池野[16]へ移り、1949年1月に佐世保の熊野町[17]へ移住[18]

1949年2月15日、藤田が警察に呼ばれたため、逃亡し国見山中で10日ほど過ごした後、同月29日夜、長崎県大草駅近くで警戒中の警察官により逮捕される[19]

同年9月 東京上野憲兵隊事件に関してアメリカ軍横浜裁判で重労働10年の判決を受ける。

1956年、仮釈放。

著書[編集]

  • 大谷 (1978a) 大谷敬二郎『捕虜』図書出版社、JPNO 78003267
    • 改版:―― (2009) 『捕虜 - 捕えられた日本兵たちのその後』〈光人社NF文庫 おN-602〉光人社、ISBN 978-4769826026
  • ―― (1975b) ―――――『皇軍の崩壊』図書出版社、JPNO 72005966
    • 改版:―― (1978b) 『陸軍80年』図書出版社、JPNO 79000226
    • 改版:―― (2014b) 『皇軍の崩壊 - 明治建軍から解体まで』〈光人社NF文庫 おN-856〉潮書房光人社、ISBN 978-4769828563
  • ―― (1975a) ―――――『戦争犯罪 - 戦犯裁判の真相』新人物往来社、JPNO 72006460
  • ―― (1973b) ―――――『二・二六事件』図書出版社、JPNO 73011023
  • ―― (1973a) ―――――『憲兵‐自伝的回想』新人物往来社、JPNO 73010150
  • ―― (1972) ―――――『天皇の軍隊』図書出版社、JPNO 72008191
    • 改版:―― (2015) 『統帥権とは何か - 軍事が政治に介入した恐るべき時代』〈光人社NF文庫 おN-890〉潮書房光人社、ISBN 978-4769828907
  • ―― (1971) ―――――『軍閥』図書出版社、JPNO 72002794
    • 改版:―― (2014a) 『軍閥 - 二・二六事件から敗戦まで』〈光人社NF文庫 おN-835〉潮書房光人社、ISBN 978-4769828358
  • ―― (1968) ―――――『憲兵秘録』原書房、NDLJP 9581736 (閉)
  • ―― (1967) ―――――『二・二六事件の謎 - 昭和クーデターの内側』柏書房、NDLJP 2989262 (閉)
  • ―― (1966) ―――――『昭和憲兵史』みすず書房、JPNO 2992885
  • ―― (1959) ―――――『落日の序章 - 昭和陸軍史 第1部』八雲書店、NDLJP 9582888 (閉)
  • ―― (1957) ―――――『にくまれ憲兵』日本週報社、NDLJP 1707880 (閉)

付録[編集]

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 大谷の著書については、#著書を参照。