「奥茂治」の版間の差分

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尖閣諸島防衛協会 幹事。NPO法人・日本の平和と安全基盤を支える会理事。沖縄笠利町会会長。
 
尖閣諸島防衛協会 幹事。NPO法人・日本の平和と安全基盤を支える会理事。沖縄笠利町会会長。
  
故吉田清治が1093年に慰安婦への謝罪文を刻み、韓国・天安市の国立墓地(望郷の丘)に私財で建てた。吉田の長男は日本の名誉と吉田家のため碑文を訂正したいとして、奥茂治に相談し、奥氏は2017年3月に訪韓し、元の碑文の上に書き換えた板を張り付けた。
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故吉田清治が1983年に慰安婦への謝罪文を刻み、韓国・天安市の国立墓地(望郷の丘)に私財で建てた<ref>{{Cite web |date=2017-05-14 |url=http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20170514/dms1705141000003-n1.htm |title=慰安婦「謝罪の碑文」、偽証吉田氏長男が取り消し 「不必要な対立、耐えられない」 |publisher=株式会社産経デジタル |accessdate=2017-08-05}}</ref>。吉田の長男は日本の名誉と吉田家のため碑文を訂正したいとして、奥茂治に相談し、奥氏は2017年3月に訪韓し、元の碑文の上に書き換えた板を張り付けた。
  
 
その後、韓国警察からの再三の出頭依頼に対して、奥は自分の正当性を韓国警察に説明するために、韓国に6月24日に入国したが、仁川国際空港に到着したところを捜査員に手錠をかけられ、中部の忠清南道天安市の警察署に連行された<ref>{{Cite web |author= |date=2017-06-26 |url=http://www.sankei.com/world/news/170626/wor1706260007-n1.html |title=吉田清治氏の慰安婦謝罪碑書き換え 韓国警察が元自衛官の奥茂治氏を出国禁止 損壊容疑で取り調べ |publisher=産経新聞 |accessdate=2017-08-05}}</ref>。
 
その後、韓国警察からの再三の出頭依頼に対して、奥は自分の正当性を韓国警察に説明するために、韓国に6月24日に入国したが、仁川国際空港に到着したところを捜査員に手錠をかけられ、中部の忠清南道天安市の警察署に連行された<ref>{{Cite web |author= |date=2017-06-26 |url=http://www.sankei.com/world/news/170626/wor1706260007-n1.html |title=吉田清治氏の慰安婦謝罪碑書き換え 韓国警察が元自衛官の奥茂治氏を出国禁止 損壊容疑で取り調べ |publisher=産経新聞 |accessdate=2017-08-05}}</ref>。

2017年8月6日 (日) 00:33時点における版

奥 茂治(おく しげはる ,1948年-)は、日本の元自衛官である。

出身

鹿児島県生まれ。本籍地は魚釣島。


職歴

  • 1965年海上自衛隊に入隊する。1970年退官。その後は尖閣諸島を中心とした領土・安全保障問題や、沖縄「集団自決」問題などに取り組む。


人物

沖縄県隊友会(自衛隊OB会)副会長、南西諸島安全保障研究所 副理事長。 尖閣諸島防衛協会 幹事。NPO法人・日本の平和と安全基盤を支える会理事。沖縄笠利町会会長。

故吉田清治が1983年に慰安婦への謝罪文を刻み、韓国・天安市の国立墓地(望郷の丘)に私財で建てた[1]。吉田の長男は日本の名誉と吉田家のため碑文を訂正したいとして、奥茂治に相談し、奥氏は2017年3月に訪韓し、元の碑文の上に書き換えた板を張り付けた。

その後、韓国警察からの再三の出頭依頼に対して、奥は自分の正当性を韓国警察に説明するために、韓国に6月24日に入国したが、仁川国際空港に到着したところを捜査員に手錠をかけられ、中部の忠清南道天安市の警察署に連行された[2]

菅義偉官房長官は6月26日の記者会見で適切な支援を行う意向を表明した[3]。奥氏が貼った石板は墓地の管理者側によって剥がされた。


2017年8月4日時点で、出国禁止措置が40日以上にわたっている[4]

出典