「御蓋山」の版間の差分

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(新規 奈良県奈良市 にある標高297mの山)
 
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==概要==
 
==概要==
江戸時代以降に[[若草山]]を三笠山と呼ぶようになり、混同された。山体は主に三笠山安山岩からなる。山頂に[[本宮神社]]と七本杉がある。[[若草山]]は標高341mの山である。御蓋山は山体が笠を伏せた形であるため御蓋山と呼ばれた。毎月1日に[[本宮神社]]に神饌を供し、本宮神社を遥拝する。山頂の浮雲峰は、768年(神護景雲2年)に春日大社の祭神である武甕槌命が、鹿島神宮から白鹿に乗り移動し降り立った場所とされる。
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江戸時代以降に[[若草山]]を三笠山と呼ぶようになり混同された。山体は主に三笠山安山岩からなる。山頂に[[本宮神社]]と[[七本杉]]がある。[[若草山]]は標高341mの山である。御蓋山は山体が笠を伏せた形であるため御蓋山と呼ばれた。毎月1日に[[本宮神社]]に神饌を供し、本宮神社を遥拝する。山頂の[[浮雲峰]]は、768年(神護景雲2年)に春日大社の祭神である[[武甕槌]]命が、[[鹿島神宮]]から白鹿に乗り移動し降り立った場所とされる。
  
 
==阿部仲麻呂==
 
==阿部仲麻呂==
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  あまの原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも 阿倍仲麻呂
 
  あまの原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも 阿倍仲麻呂
  
仲麻呂が在唐36年のあと、帰国の途につく前、明州(現在の寧波)で開かれた餞別の宴で詠まれたとされる。その後、仲麻呂の乗った遣唐使船は難破して、安南(現在のベトナム)に漂着したため、長安(現在の西安)に戻り、日本には帰国できなかった。
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仲麻呂が在唐36年のあと、帰国の途につく前、[[明州]](現在の寧波)で開かれた餞別の宴で詠まれたとされる。その後、仲麻呂の乗った[[遣唐使船]]は難破して、安南(現在のベトナム)に漂着したため、[[長安]](現在の[[西安]])に戻り、日本には帰国できなかった。
 
==国土地理院==
 
==国土地理院==
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==参考文献==
 
==参考文献==

2021年12月12日 (日) 23:32時点における最新版

御蓋山(みかさやま, Mount mikasa)は、奈良県奈良市 にある標高297mの山である。「三笠山」「御笠山」とも書かれる。

概要[編集]

江戸時代以降に若草山を三笠山と呼ぶようになり混同された。山体は主に三笠山安山岩からなる。山頂に本宮神社七本杉がある。若草山は標高341mの山である。御蓋山は山体が笠を伏せた形であるため御蓋山と呼ばれた。毎月1日に本宮神社に神饌を供し、本宮神社を遥拝する。山頂の浮雲峰は、768年(神護景雲2年)に春日大社の祭神である武甕槌命が、鹿島神宮から白鹿に乗り移動し降り立った場所とされる。

阿部仲麻呂[編集]

『古今集』と百人一首に収録されている[[阿倍仲麻呂]の和歌の「三笠の山」は「三笠山」(御蓋山)を指す。

あまの原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも 阿倍仲麻呂

仲麻呂が在唐36年のあと、帰国の途につく前、明州(現在の寧波)で開かれた餞別の宴で詠まれたとされる。その後、仲麻呂の乗った遣唐使船は難破して、安南(現在のベトナム)に漂着したため、長安(現在の西安)に戻り、日本には帰国できなかった。

国土地理院[編集]

国土地理院の電子地図[1]では「春日山(御蓋山)」と「若草山(三笠山)」と混同されている。

参考文献[編集]