柳井政雄

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柳井 政雄(やない まさお)は全日本同和会初代会長。全日本同和会山口県連合会会長。総理府同和対策協議会委員。

部落解放同盟から除名され、全日本同和会に参加。1977年3月、みずからも名を連ねた山口商業企業組合を通じて同和高度化資金から土地代として2億円の融資を受け、山口市内に高級ホテル「山口ホテル」の建設を計画。しかし山口商業企業組合の理事長の八木重樹は同和高度化資金融資制度の対象となる人物ではなく、またこの事業そのものが同和事業と無関係であったため、この融資は不正であった。このため、県民の批判で計画は中止となった。

柳井はこのほか、山口観光ショッピングセンターの建設計画を立て、1978年12月には同和高度化資金から土地代として2億2000万円の融資を受けたが、この土地は1976年に柳井が同和高度化資金から融資を受けて買った土地であり、これも不正融資であった。

1979年7月、全日本同和会第20会大会でこれらの同和高度化資金をめぐる不正融資の責任を追及され、会長を辞任した。後任が松尾正信である。

出典[編集]

  • 中原京三『追跡・えせ同和行為』p.22-25