江本義数

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江本 義数(えもと よしかず、1892年10月28日-1979年5月18日)は、日本の菌類学者昭和天皇粘菌研究の師として知られる。

経歴[編集]

1892年10月28日、東京市本所区に生まれる[1]

1917年、東京帝国大学理科大学植物学科を卒業[1]

1924年頃、徳川生物学研究所に研究員として所属[2]

1934年、「硫黄酸化細菌の生理」により理学博士号取得[1]。同年学習院教授[1]

1949年、昭和天皇に「温泉と硫黄バクテリア」について御進講[1]

1953年から1958年まで、学習院女子短期大学教授[1]

1953年に国士舘短期大学教授、1961年に国士舘大学教授[1]

1958年から1974年まで、東京国立文化財研究所保存科学部の調査研究員となり、法隆寺金堂焼損壁画高松塚古墳壁画の微生物の調査と防除処理の研究を行う[1]

栄典[編集]

著書・論文[編集]

著書[編集]

  • 1977 Emoto, Yoshikadzu The Myxomycetes of Japan, I.M.R. series of microbiology, Sangyo Tosho
    • 1977b 江本義数『日本変形菌原色図譜』産業図書。

論文[編集]

  • 1977a 江本義数「想い出-15-大学時代(資料)」『日本菌学会会報』vol.18 no.1、1977年4月 pp.103-110
  • 1976 -「思い出-14-パン酵母の培養(資料)」『日本菌学会会報』vol.17 no.1、1976年3月 p.90
  • 1974b -「思い出-13-近代変形菌研究の人々」『日本菌学会会報』vol.15 no.2、1974年7月 pp.163-171
  • 1974a -「思い出-12-日本産変形菌図譜」『日本菌学会会報』vol.14 no.4、1974年1月 pp.409-410
  • 1973 -「思い出-11-上野の生活」『日本菌学会会報』vol.14 no.2、1973年7月 pp.199-202
  • 1972d -「思い出-9,10」『日本菌学会会報』vol.13 no.4、1972年12月 pp.311-318
  • 1972c -「思い出-7,8」『日本菌学会会報』vol.13 no.3、1972年8月 pp.239-247
  • 1972b -「思い出-5,6」『日本菌学会会報』vol.13 no.2、1972年5月 pp.155-161
  • 1972a -「思い出-3,4」『日本菌学会会報』vol.13 no.1、1972年2月 pp.94-102
  • 1971 -「思い出-1,2」『日本菌学会会報』vol.12 no.3・4、1971年12月 pp.196-202

家族[編集]

付録[編集]

関連文献[編集]

  • 江本の著書・論文については江本義数#著書・論文を参照。
  • 椿啓介「江本義数先生を悼む」『日本菌学会会報』vol.21 no.1、1980年5月 pp.1-2
  • 日本温泉科学会「訃報 故 江本義数先生」『温泉科学』vol.30 no.2 1979年9月、p.56、NDLJP 3222379 (閉)

脚注[編集]

参考文献[編集]