トカラ列島

提供: Yourpedia
2013年2月17日 (日) 21:16時点におけるゆーら (トーク | 投稿記録)による版 (織田信長トーク)による第177077版を取り消し)

(差分) ←前の版 | 最新版 (差分) | 次の版→ (差分)
移動: 案内検索
漢-seal.svg 本来の表記は「吐噶喇列島」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。

吐噶喇列島(とかられっとう、とは嘔吐の吐、かは口偏に葛、らは口偏に刺す)とは、鹿児島県の諸島の一つ。全域が鹿児島県の十島村となっている。

歴史[編集]

地名の由来については諸説あるものの、「沖の海原」を指す「トハラ」から転訛したという説が有力。

699年8月19日(文武天皇3年七月辛未)に、多褹、夜久、菴美、度感の人が物を貢いだことが、『続日本紀』に記されている(それぞれ種子島屋久島奄美大島、トカラにあたる)。同書によればこれが度感(徳之島との説もある)が日本と通じた始まりであった。

畳表の原材料である和名シチトウの由来の地。8つの島があるのに七島というのは、小宝島を宝島に編入して数えていることによる。シチトウは別名琉球藺(りゅうきゅうい)とも呼ばれ、トカラ列島から大分県シチトウの苗が持ち込まれ栽培に成功し、後に全国の一般家庭や柔道場の柔道畳にも使われている。

柔道畳は1882年(和暦??年)柔道創設時代講道館の畳にもシチトウの畳が使われ、柔道の祖 嘉納治五郎が丈夫な畳とし柔道に採用した。その後、嘉納治五郎は研究に次ぐ研究を行い、柔道畳として進化を遂げる。1964年(和暦??年)に開催された東京オリンピックでは、柔道会場の日本武道館でシチトウを使った畳が使われ、後のオリンピック柔道会場ではビニール素材に変わっている。このことは2008年7月財団法人日本武道館の機関紙『武道』500号の髄筆「嘉納柔道と柔道畳復元」として掲載されている。嘉納柔道畳のルーツとも言われている。

沿革[編集]

4つの群島政府は、翌年3月末日までは形式的には存在したため、この地域には2種類の政府が存在した。

主な島[編集]

列島へのアクセス[編集]

3日に1便程度。宝島 - 名瀬港は2便に1便のみ運航。

その他[編集]

  • 2009年7月22日皆既日食観測の可能性があった(観測できる範囲は、屋久島から奄美大島北部)。特に悪石島は、島のすぐ北側の海上を皆既帯の中心線が通っていることから、世界各地から観測者が訪れたが、結局、当日の暴風雨のため観測できなかった(詳しくは2009年7月22日の日食を参照)。
  • 悪石島と宝島の間に、「渡瀬線」という分布境界線が走っている。両島の間には水深1000mの「トカラギャップ」と呼ばれる海裂が横たわっており、これが「渡瀬線」を形成しているのではないかと推定されている。ハブなど、九州本土と沖縄県奄美群島との動植物の境界である。

関連項目[編集]