ウエンツ瑛士

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ウエンツ 瑛士(ウエンツ えいじ、Wentz Eiji、1985年10月8日 - )は、日本俳優タレント歌手ミュージシャン小池徹平とのデュオWaTのメンバー。所属事務所バーニングプロダクション東京都三鷹市出身。血液型O型。学校法人武蔵野東学園武蔵野東小学校-中学校、日本大学櫻丘高等学校卒業。

来歴[編集]

人物[編集]

父親はドイツ系アメリカ人、母親は日本人。瞳の色はヘーゼル(薄茶・緑・灰・青など)。しかし、中身は日本生まれ日本育ちの日本語一筋なため、西洋的な容姿にコンプレックスを感じている。また密かに乳首がピンク色をしている事を気にしている。

「笑い」に対して貪欲な姿勢を見せる。

笑いと喋りが大好きだが、基本的にネガティブ思考で悩みやすい。何事にも反省をする。デュオを組む小池はウエンツについて「真面目ですごくシャイ、たまに何考えてるのかわからない」等と語っており、製作人や共演者談の多くでは、礼儀正しい、真面目、賢いなどストイックな一面を持つと語られている。番組で共演した美輪明宏には「バカのふりしてるけど、本当は頭がいい。只者じゃないわ」と言われた。

鏡が嫌いで、一人暮らしの自宅でも洗面所以外の鏡を全て捨てている。

小池曰く、本人は無意識だが「奇跡は偶然じゃない」とよく言う。世界バレーのオフィシャルテーマソング「Ready Go!」にも「奇跡はきっと偶然なんかじゃない」というフレーズを入れている。曰く「努力したからこそ、奇跡が起きる」「努力しない人に奇跡は起きない、努力しない人にラッキーはない」という信念があり、確かにテレビ番組や連載していたコラムなどでもそのような話をしている。

の左側に幼い頃熱湯を被ってできた一文字の火傷の跡がある(顔の火傷跡は残らなかった)。

家族構成は父・母・5歳上の兄・瑛士の4人。ウエンツ以外の全員が英語を話せる。母親はECCで優秀賞を受賞するほど。兄はECCに通うなどして堪能に、アメリカの大学へ留学経験もある。幼い頃から非常に兄弟仲が良い。父親は叱るときなど感情が高ぶると英語が出るので、そういう時はひたすら「Yes… Yes…」でごまかす。両親は共働きなため、母方の祖父母の家で過ごすことが多かった。子供と動物が好きで、以前は自宅で犬(オザ君・雄)と猫(ナナちゃん・雌)を飼っていたが、現在は実家に預けている。

呼称としては、「ウエンツ」「ウエンツ君」の他に、小池や友人、ファンには「瑛ちゃん」、師匠等には「瑛士」、『あいのり』では「ウェンティー」、『うたばん』では「ホラッチョ」といった愛称がある。

嫌いな食べ物はホタテ・おでんの昆布・ナタデココ・ちゃんぽん。辛い物も苦手。 好きな食べ物はうどん・米・ナッツ類、ケーキ等。 紅茶派でコーヒーはあまり飲まない。好きな酒は泡盛・焼酎。

また高所恐怖症でもある。

サッカー日韓戦において「僕は韓国を応援しました。日本が嫌いなので」(さんま大先生)と発言したり「日本人は文句ばかりで行動しないのは駄目だ」(サキヨミ)などたびたび日本批判をする。要出典

日本生まれの日本育ちだが国籍はアメリカを選択した 要出典

趣味[編集]

小学5年生の頃からお灸を嗜んでいる。子どもの頃は恥ずかしいのでお菓子に紛れ込ませてお灸を購入していた。 本を読むことが好きで、カバンに入れ持ち歩いている。自宅には小説などを除く漫画だけで800冊以上の本があり、常に本棚から溢れている。ドラゴンボールマニアで漫画本やアニメDVDなどをコレクションしており、台詞や設定などの多くを記憶している。好きな漫画はHUNTER×HUNTERジョジョの奇妙な冒険小沢一敬談)など。またゲーマーでもある。HUNTER×HUNTERが一年半ぶりに連載を再開した後、10週で再び休載し始めると、これを残念がり「世界一面白いと思ってるマンガ」とのコメントをしている。

野球好きで大の西武ライオンズファンとして有名。2007年のプロ野球パ・リーグ開幕戦グッドウィルドームで行われた「西武 VS 楽天」で念願の始球式を勤める。中学生時代から当時の西武球場に足しげく通っており、始球式で西武のユニフォームに記した背番号「230」は当時住んでいた家から球場までの片道電車賃である。なお、2007年にグッドウィルドームで20回は試合観戦しており、隣接の西武第2球場で西口涌井赤田らライオンズの選手と練習をしたことがある。2016年2月21日のワイドナの清原和博の話題でライオンズファンですといっていた

NBA選手に憧れ小・中・高とバスケットボール部に所属。中学時代には東京都代表選手に選ばれる。高校では芸能活動と部活動の両立が難しくすぐに辞めなければならなかったが、その後しばらくは地元のクラブチームに入っていた。また野球のクラブ活動をしていたこともある。冬は友人らとスノーボードに行く。

2006年に世界バレーボールのオフィシャルサポーターを勤めたことがきっかけとなり、以降プライベートでもバレーボールの試合観戦に行っている。

少年時代[編集]

1985年10月8日誕生。生まれた時は白に近い金髪で、大人になるにつれて徐々に色素が濃くなった。子どもの頃は金髪だったこともあり「金髪」「外人」などとからかわれ指を指されたり、西洋的な容姿に対する周囲からの偏見に苦悩した過去がある。外見と中身の相違により自身の容姿に強いコンプレックスを抱いてきた。これらのことに関して自ら多くを語ることはなく、話を聞かれても、「こういう性格だから気にしませんでしたね」と明るく返す場合が多いが、19歳当時「なぜ顔を褒められることが苦手なのか?」という質問に「どうしても外見で判断されることってある、それをどう覆していくか…考えていた時期もあります。内面を磨いた方がいい」と発言している。

両親は 兄には厳しい一方、ウエンツはわりと放任主義で育てられた(しかし礼儀にだけは厳しかった)。幼い頃、親に怒られ兄と共に家の外に締め出された時、傍にあったおもちゃで窓ガラスを割り、家に入ったため「この子はちょっとおかしい」と唖然とした親はさらに叱らなくなった。また、小学5年生の時には、試験が嫌で教室を抜け出し逃走したことがあり、学校側から仕事先の母親の元にも連絡が行き、誘拐騒ぎになる。小学校時代のあだ名はシタンツ。(他ウエンツスターソースなど)。

幼い頃、「美味しくはないがくせになる」「祖父母を驚かせたい」という理由で「」を食べていた。

野球クラブの試合で、レギュラーではなかったのでベンチにいると、相手チームに「助っ人外人選手を入れてる」と勘違いされ、最後の切り札かと恐れられていた。

高校1年生の時「」を発症。原因は不明で、本人曰く「5時の方向に切れている」。

仕事、学業[編集]

4歳でモデルデビュー。当時の所属事務所はSugar&Spice。芸能活動を開始後は多くの雑誌・CMを始め、NHK教育の子供番組『天才てれびくん』『天才てれびくんワイド』に5年間に渡りレギュラー出演。母親は俗に言うステージママではないので、1人で電車に乗り仕事に行くことも多かった。

小学4年から5年間レギュラー出演したNHK『天才てれびくん』では、歴代の司会であるダチョウ倶楽部キャイ~ン山崎邦正らと共演。この頃のウエンツはお笑いキャラではなく二枚目キャラで子どもと母親から人気を集めており、小学生ながらに出待ちがいるほどだった。共演していた山崎邦正は当時のウエンツについて「子どもながらに(全体を)客観的に見てた」と語っている。

『天才てれびくん』卒業後(14歳)、すぐにジャニーズ事務所からスカウトを受けるが「お笑いが好きだから」という理由で断る。また、それまで所属していた事務所も辞め芸能界を一時引退。約1年半、普通の生活をしていた。その後、共通の知人がいた郷ひろみがウエンツの活動を見て現在の事務所に紹介。しかし、本人は芸能活動をするつもりが無かったため断りを入れに事務所を訪れたが、社長に「おお、入れよ」と言われ「は、はい」と即答してしまう。そして高校1年生(15歳)でバーニングプロダクションから芸能界に復帰。高校受験の際、事務所からは堀越学園への進学を進められたが、当時は将来就職するつもりでいたため日本大学櫻丘高等学校に進学した。中学当時学年トップ10に入る成績を取っていたため、学校推薦を受けての推薦入学である。

子どもの頃、馬が好きで競馬カードをコレクションしたり競馬中継を熱心に見るなど、真面目に競馬学校への進学を考えていた時期がある(小学校の卒業文集には「騎手になりたい」と書いている)。

学校の成績は優秀な方で、高校1年の時には兄の勧めにより塾講師のアルバイトをしていたことがある。小中学生に国語や算数を教えていた(兄は同塾で英語を教えていた)。

自身で考えた勉強法として、「いつ家族が起きてくるかわからない緊張感」「冬は寒くて眠れない」という理由から夜中にリビングで全裸になり勉強する「全裸勉強法」を実践していた。(当時17歳『踊る!さんま御殿!!』より)

お笑い[編集]

ハーフの美形でありながら、笑いのためならケツも出すという程の芸人根性の持ち主であり、独自の路線を切り開いている。バラエティ番組でのトークでは、主にヘタレキャラや自虐ネタをベースとし、泣き芸・キレ芸・リアクション芸を使用。

高校1年生で芸能界復帰後、NHKの大河ドラマ等に出演しつつ即バラエティ番組にも進出。ウエンツがバラエティでのトークを貪欲に勉強しはじめたきっかけは、16歳で初出演した『踊る!さんま御殿!!』である。番組中思うように発言することができず、強烈な悔しさとショックを感じた。それは、落ち込むウエンツをマネージャーが慰めるためにリンガーハットちゃんぽんを食べさせたところ、全て吐いてしまった程。以来それがトラウマとなりちゃんぽんを食べると吐いてしまう。しかし、その後徐々にバラエティへの出演本数を増やしていき、翌年(17歳)には『踊る!さんま御殿!!』の常連になる。それについてさんまは「あいつは毎回ちゃんとネタ用意してくるから偉い。」と発言。一方で、ネガティブさ故に自分の発言について一々反省し過ぎるところがあり、相談をする先輩らからたまに怒られる。

高校卒業以降には年間100本以上のバラエティ番組に出演。パンツ一丁でクワガタに鼻と乳首を挟まれるなど、身体を張った芸にも力を入れだす。成人以降は『あいのり』のレギュラー司会に抜擢、徐々に特番などの司会にも挑戦し始めている。しかし、WaTでの音楽活動やドラマ・映画への出演といった俳優活動が忙しくなり、番組宣伝以外でのバラエティ番組へのゲスト出演(ひな壇など)は少なくなっている。

笑いに対する貪欲さと勉強量は半端ではなく、その熱心さについては明石家さんま関根勤今田耕司などの芸人らからも語られている。また関根は「ウエンツをライバル視している」と度々発言しており、「ボケが速い」「心意気が怖い」「あいつには脅威すら感じる」と語っている。

尊敬する人は「山崎邦正」。お笑い芸人の山崎邦正とは師弟関係にある。NHK『天才てれびくん』での共演がきっかけで知り合い、多大な影響を受けその当時からずっと慕い続けている。本人曰く、「師匠がいなければ今の俺はいない」。ほぼ毎年隅田川の花火大会に一緒に行っている。

師匠からの教えは『困ったら大声を出せ』(他、「つまったら歌を歌え」など)。しかし、ウエンツにとって師匠は「神様的存在」であるため、直接教えを請うのは今田耕司宮迫博之品川祐などお笑いの先生である。

俳優[編集]

9歳の時、劇団四季のミュージカル美女と野獣』のチップ役で役者デビュー。記念すべき初演のメンバーであり、ミュージカルでは日本初の国内2都市同時ロングランを実現し半年間公演した。また、現在でも劇団四季が好きでほとんどの公演を観ている。

16歳の時、NHK大河ドラマ『利家とまつ』に森蘭丸役で出演。大河ドラマの重要な役に無名の新人が抜擢されるのは異例のことだが、「正確な日本語を使い、凛とした美しさがある」という理由で抜擢。出演シーンは少ないものの歴代の蘭丸の中でも人気は高い。撮影の際は黒のカラーコンタクトを着用し、濃い目のドーランで白い肌を隠した。しかし、この頃既に俳優としてはハーフ特有の顔立ちのせいで役どころが制限され、役者としてやっていくのに限界を感じていた。

人気特撮ヒーロー「仮面ライダー」になりたくて2度オーディションを受けたが、2度とも落選。しかし、2005年公開の劇場版『仮面ライダー THE FIRST』で念願の出演を果たす。非常に重要な役であるがやはりライダーではない。また同年には愛の劇場『正しい恋愛のススメ』でドラマ初主演。男とのキス、母親ほどの熟女とのラブシーンなどで精神的に一回り成長する。

2006年公開の小池徹平主演映画『ラブ★コン』に1カットのみ出演し、チアガールに紛れて乙女メイクに全身ピンクで登場。エンディングロールでは「ウエンツ瑛士(ドゲザ出演)」と表示される。

2007年公開の映画『キャプテントキオ』で映画初主演(21歳)。

2007年公開の実写映画『ゲゲゲの鬼太郎』で主演の鬼太郎役に抜擢される。また、翌年には2作目となる『ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌』が公開。ウエンツは原作者である水木しげる本人から、鬼太郎役について「77点」と採点された。水木しげるは何事も80点満点で採点するため、他の例と比較しても非常に高得点であると言える。ちなみに減点された3点は「格好良すぎる」という理由から。

モデル[編集]

4歳の時、幼稚園の友達の誘いでモデルデビュー。天使系美少年と呼ばれ活躍し、多くの雑誌や「ティンカーベル子供服」「森の水だより」などの有名CMをはじめ、LUNA SEAの「IN SILENCE」などのPVにも出演。14歳の時出演した、清涼飲料水「森の水だより」のCM『森の水だより~美少年編』で注目され、テレビ・雑誌等で取り上げられる。このオーディションは上海、香港、北京、日本で行われ、多くの候補者達の中から「瞳が印象的」という理由で選出された。

高校生で身長の伸びが止まったため、以降モデルとしての活動はしていない。

2006年(20歳)、声優を務めたアニメ映画『ブレイブストーリー』のPRでカンヌ国際映画祭を訪問。そこで出席したパーティの帰り際、ヨーロッパ随一と言われるフランスの高級ファッション誌『Jalouse(ジャルーズ)』の元編集長アレキサンドラ・セネスにスカウトされる。発売された同誌には、海外では無名の存在にも関わらず、4ページにわたり掲載された。

音楽[編集]

シンガーソングライターデュオWaT」として小池徹平と音楽活動をしている。2002年に代々木公園近辺で路上ライブを始め、2003年12月には当初0人だった観客が1000人を越え路上ライブを休止。2004年に「WaT」(Wentz and Teppeiの略)として、シングル「卒業TIME」でインディーズデビューする。2005年にはメジャーデビューを果たし、デビューシングル「僕のキモチ」はオリコンランキングで初登場2位を獲得。WaTで主に担当する楽器は、ギターベースキーボードピアノタンバリンなど。

7歳からピアノを(しかしすぐに辞め高校時代に再開するまではキーボードを愛用)、10歳からベースを弾き始める。路上ライブでは主にアコースティック・ベースとキーボードを担当していた。ギターは17歳頃から始める。作曲はピアノで、作詞は主にトイレですることが多い。アルバム「卒業TIME~僕らのはじまり~」収録の『オトナシ』などはトイレで一気に書き上げた。

Mr.Children」「THE YELLOW MONKEY」の大ファンで、吉井和哉を崇拝している。高校の学園祭では友人らと組んだバンドで『バラ色の日々』をカバー。またWaTメジャーデビュー以前にはライブで『SO YOUNG』をカバーしたことがある。ロックバンド系の音楽が好きで、十代の頃などはよくライブハウスにも通っていたらしく、ラジオ番組レコメン!のパーソナリティであるK太郎が「毎週のようにライブハウスで見かけてた」と語っている。

ウエンツ瑛士&ガチャピン&ムックで、レギュラー出演していた「ポンキッキ」のコーナーソング、『ラッキーでハッピー』を子ども達と共に歌い踊る。振り付けはラッキィ池田が担当した。

2007年4月25日、自身が主役を勤める映画「ゲゲゲの鬼太郎」の主題歌『Awaking Emotion 8/5』でソロデビュー。

交友関係[編集]

ウエンツが友人として挙げる芸能人の多くはウエンツより一回り以上年上で、ほとんどがお笑い芸人である。特に親交の深い芸能人としては、今田耕司山崎邦正大泉洋品川祐品川庄司)、小沢一敬スピードワゴン)、藤本敏史FUJIWARA)、末高斗夢小倉智昭二宮和也小島よしおなどを挙げている。また、ボストン・レッドソックス松坂大輔とはメール交換をする仲である。

主な出演[編集]

過去のレギュラー[編集]

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

舞台[編集]

  • 1995年~1996年 劇団四季ミュージカル「美女と野獣」 / チップ 役(半年間公演)
  • 2004年 WaT Entertainment Show 2004 ACT “do” LIVE Vol.1 「タイトル不明」
  • 2004年 WaT Entertainment Show 2004 ACT “do” LIVE Vol.2 「闇の門」
  • 2005年 WaT Entertainment Show 2005 ACT “do” LIVE Vol.3 「闇夜のカラス」「タイトル不明」
  • 2006年 WaT Entertainment Show 2006 ACT “do” LIVE Vol.4 「スーサイドストア」「IOUJIMA」

CM[編集]

CD(WaT以外)[編集]

  • 1999年 「NHK 天才てれびくんワイド うたの詰め合わせ」 8cm
  • 2000年 「NHK 天才てれびくんワイド 天てれ大入り袋」 Can do it! / 世界中の全ての色
  • 2007年 「ラッキーでハッピー/君に贈る歌」※「ポンキッキ」コーナー・ソング。
  • 2007年 「Awaking Emotion 8/5/my brand new way」※ソロデビューシングル。映画「ゲゲゲの鬼太郎」主題歌。

PV(ミュージック・ビデオ)[編集]

  • 1996年 LUNA SEA シングル「IN SILENCE」
  • 2002年 MIKIKO シングル「I wanna be…」
  • 2007年 髭(HiGE)「ドーナツに死す」(from「キャプテントキオ-SOUND&MUSIC ALBUM-」)
  • 2007年 sunny-side up アルバム「egg one」内「end of the world」(直筆メッセージボードを持って43人の芸能人と共に一瞬の出演)

雑誌・その他[編集]

現在のレギュラー[編集]

過去のレギュラー[編集]

  • VERY
  • 読売新聞夕刊、コラム「ウエンツ瑛士のラッキーパンチ」連載(2005年10月~2006年03月)
  • Duet(2000年10月~2008年6月)

外部リンク[編集]

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