不敬罪

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不敬罪(ふけいざい)とは、国王皇帝など君主や、王族皇族など君主の一族に対し、その名誉や尊厳を害するなど、不敬とされた行為の実行により成立する犯罪

不敬罪は、絶対君主制など、主権者たる君主国家の存立を同一視する体制において定められることが多い。現在では、不敬罪は、国民の自由(特に思想・良心の自由表現の自由)を過度に制約する恐れがあるため、君主制を採用している国でも廃止・失効しているケースが大半である。イスラム圏の諸国やタイ王国は、現在も不敬罪が存在する数少ない例である。

タイ王国の不敬罪[編集]

タイの不敬罪はタイ王国刑法第112条によって定められている。

第112条 国王、王妃、王位継承者あるいは摂政に対して中傷する、侮辱するあるいは敵意をあらわにする者は何人も三年から十五年の禁固刑に処するものとする。[1]

この条項は1956年制定の当初は、「7年を超えない禁固刑」を規定していた[2]が、1978年のクーデター後、国家統治改革団命令41号によって現在の形に改変された[3]

この条項に書かれている行為を行うことは一般に「ご威光を侮辱する (หมิ่นพระบรมเดชานุภาพ) 」と表現され、「ご威光を侮辱する罪(すなわち「不敬罪」、โทษฐานการหมิ่นพระบรมเดชานุภาพ)」とされる。また、外国の君主、妃、王配(皇配)あるいは元首を侮辱した場合も別の条項によって罰せられる[4]

「ご威光を侮辱する」の範囲は明確ではなく、“敬意を表さないこと”をも含めるか否かで議論がある。2006年のクーデターの反対運動を行っていた政治活動家のチョーティサック・オーンスーン[5]は同様に映画館で王室歌が流れた際に起立しなかったため不敬罪で2007年に起訴されたが、その際に表敬しないことは有罪ではないという旨の主張を行い[6]、その友人らはチョーティサックの主張を受けて無罪を主張する署名活動を行っている[7]。2008年8月にはバンコク在住のオーストラリア人作家が、著書でプミポン国王始め王族を侮辱したとして逮捕され、09年1月に禁固3年の実刑判決を言い渡されている[8]

一方でマグサイサイ賞を受賞した弁護士のトーンバイ・トーンパオによれば、表敬するように要求があった場合に表敬しないことは罪であるとされており、過去には王室歌が流れたときに起立しなかったチュラーロンコーン大学の学生が2年間の禁固刑を受けていることを指摘している[9]

アピシット・ウェーチャチーワ首相は「過去の事件で政治的に不敬罪が濫用されていた」と懸念を示している。

日本の不敬罪[編集]

沿革[編集]

日本では、不敬罪は、1880年に公布された旧刑法(明治13年太政官布告第36号)において明文化された。この規定は、1907年に公布された現行刑法(明治40年法律第45号)に引き継がれた。もっとも、不敬罪(74条、76条)を含む刑法第2編第1章(「皇室ニ對スル罪」、73条から76条まで)は、1947年に削除されている。この刑法第2編第1章には、不敬罪のほか、天皇・皇族等に対して危害を加える行為(未遂を含む)を加重処罰する罪(73条、75条)も定められていた。危害罪も含めた「皇室ニ對スル罪」全体を不敬罪と呼ぶこともある。

概要[編集]

不敬罪の客体は、次の5種に分けられる。

第一に天皇(74条1項)
第二に太皇太后、皇太后皇后皇太子皇太孫など天皇に準ずる皇族(同条項)
第三に神宮(74条2項)
第四に皇陵(同条項)
第五に普通の皇族(76条)

不敬罪の実行行為は、これらの客体に対して「不敬ノ行為」(不敬行為)を行うことである。不敬罪の法定刑は、第一から第四の客体に対する罪は「3月以上5年以下の懲役」とされ、第五の普通の皇族に対する罪は「2月以上4年以下の懲役」とされた。

不敬罪の客体のうち「神宮」は、伊勢神宮を指すのが通例だが、熱田神宮橿原神宮香取神宮など「神宮」と名付く神社も含まれると解された。また、同じく「皇陵」は、かつて天皇に在位した歴代の天皇の墳墓と解された。なお、現在でも礼拝所不敬罪という罪名があるが、これは単に墳墓や礼拝所に対する保護のためのもので、皇室とは直接関係ない。

不敬罪の保護法益は、客体が体現(象徴)する国家の名誉と尊厳、および客体自身の名誉と解された。そのため、不敬罪は、一般人における名誉毀損罪侮辱罪等、名誉に対する罪の一種とされた。しかし、「不敬ノ行為」(不敬行為)は、これら一般人における名誉に対する罪の実行行為よりも広い範囲の行為を含むとされた。また、名誉毀損罪等が親告罪とされるのに対して、不敬罪は非親告罪とされた。

不敬行為とは、客体に対する軽蔑の意を表示し、その尊厳を害する一切の行為を指すとされた。客体の行為の公私の別を問わず、即位の前後を問わず、事実の有無を問わず、事実の摘示の有無を問わず、一切の行為である。また、その行為は、第三者から認識し得ることを要するものの、公然・非公然の別を問わないため、日記の記述を不敬行為とした大日本帝国時代の判例もあり、適用範囲はきわめて広かった。積極的な行為でなくても、要求される敬意を払わないというようなことでも不敬行為とされた。

もっとも、歴代の天皇に対する不敬行為は、それが同時に現在の天皇に対する不敬行為にあたる場合を除き、不敬罪は適用されず、ただ死者に対する名誉毀損罪(230条2項)の適用の有無のみが問題とされた(注:死者に対する名誉毀損罪は、「虚偽の事実を摘示することによってした場合でなければ」(現代語化改正前の法文は「誣罔ニ出ツルニ非サレハ」)、処罰されない)。

現行法律下では告訴権者が「天皇、皇后、太皇太后、皇太后又は皇嗣」であるときに内閣総理大臣が代わって名誉毀損罪や侮辱罪の告訴を行うことができるのみで、適用される法律自体は一般国民に対するそれと変わらない。

法文[編集]

刑法[編集]

刑法第二編第一章は、1947年に削除され現存しない。

  • 刑法(明治40年法律第45号)
第1章 皇室ニ對スル罪
第73条 
天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子又ハ皇太孫ニ對シ危害ヲ加ヘ又ハ加ヘントシタル者ハ死刑ニ處ス
第74条 
天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子又ハ皇太孫ニ對シ不敬ノ行為アリタル者ハ三月以上五年以下ノ懲役ニ處ス
神宮又ハ皇陵ニ対シ不敬ノ行為アリタル者亦同シ
第75条 
皇族ニ對シ危害ヲ加ヘタル者ハ死刑ニ處シ危害ヲ加ヘントシタル者ハ無期懲役ニ處ス
第76条 
皇族ニ對シ不敬ノ行為アリタル者ハ二月以上四年以下ノ懲役ニ處ス

旧刑法[編集]

旧刑法にも同様の規定がある。罰金刑を定めていた点、及び、監視に関する規定を持つ点が異なる。

  • 旧刑法(明治13年太政官布告第36号)
第1章 皇室ニ對スル罪
第116条
天皇三后皇太子ニ對シ危害ヲ加ヘ又ハ加ヘントシタル者ハ死刑ニ處ス
第117条
天皇三后皇太子ニ對シ不敬ノ所為アル者ハ三月以上五年以下ノ重禁錮ニ處シ二十圓以上二百圓以下ノ罰金ヲ附加ス
2項
皇陵ニ対シ不敬ノ所為アル者亦同シ
第118条
皇族ニ對シ危害ヲ加ヘタル者ハ死刑ニ處ス其危害ヲ加ヘントシタル者ハ無期徒刑ニ處ス
第119条
皇族ニ對シ不敬ノ所為アル者ハ二月以上四年以下ノ重禁錮ニ處シ十圓以上百圓以下ノ罰金ヲ附加ス
第120条
此章ニ記載シタル罪ヲ犯シ軽罪ノ刑ニ處スル者ハ六月以上二年以下ノ監視ニ付ス

大津事件[編集]

詳細は大津事件の項目を参照のこと。

1891年明治24年)5月、日本を訪問していたロシア帝国皇太子ニコライ(後のニコライ2世)が、滋賀県大津市で警備の巡査津田三蔵に突然斬りかかられて負傷する暗殺未遂事件が発生した。いわゆる大津事件である。その事件処理に際して、大国ロシアを恐れた政府は大審院に対し、皇室に対する罪を適用して処断するよう圧力をかけた。しかし、大審院は、「皇室に対する罪は、外国の皇太子に対する行為については適用されない」として、一般の殺人未遂事件として処理し、司法権の独立を保った。しかしながらこの司法権の独立を守る過程で、大審院が担当裁判官にそのように処理させたように、裁判官の独立が保たれていたわけではなかったことに注意するべきである。

このとき政府から適用するよう求められた罪は、不敬罪ではなく皇族に対する危害罪(旧刑法116条)である。

関連項目[編集]

脚注[編集]


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