川崎祭

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川崎祭(かわさきまつり)とは2003年に2ちゃんねるで起こされた”祭り”のこと。悪ふざけとしてのネット投票推進運動が展開された。

概要[編集]

川崎憲次郎は2000年オフにFA宣言をし、ヤクルトスワローズから中日ドラゴンズに移籍して、年俸2億円で3年6億円(4年契約で4年目は出来高制)という多額の年俸を複数年契約によって得ていた。しかし、中日移籍後の2年間はほとんど登板がなく、年俸2億(2年で4億)という活躍に全く見合わない成績しか残していなかった(中日に移籍してから2004年までの登板実績は、2002年ウエスタン・リーグで2度登板し、0勝2敗・防御率9.00)。

中日移籍3年目となる2003年、4月25日に2ちゃんねるにおいて、「川崎憲次郎をオールスターファン投票1位にしよう。」というスレッドがたった。中日への移籍以降、高額年俸に見合わない成績であったセリーグの先発投手部門のファン投票で1位を獲得させ、川崎を晒し者にするための嫌がらせ投票が行われた。

川崎はこの投票行動を最初は同情票と捉えていたが、嫌がらせ目的の投票があると知ると、複雑な心境をあらわにした。

6月17日には、セリーグの先発投手部門において川崎は阪神タイガースのエースであり当時セリーグ最多勝であった井川慶を抜いて、1位となった。セリーグの先発投手部門のファン投票では、最終的に川崎は911328票を獲得し、2位の井川の863460票を46868票差をつけて1位を獲得した。川崎は「球宴は今シーズン、実績を残している選手が出る場所」として、オールスター出場辞退を表明した。球宴は基本的に辞退することが許されず、辞退すると1週間の出場停止処分が下されるが、コミッショナー事務局は事情を鑑み、出場停止処分は下さなかった。川崎が辞退したため、ファン投票枠は2位の井川が繰り上がった。なお、全体におけるネットでの投票が占める割合は32%だったが、川崎投手の場合はネットによる投票の割合は70%以上であった。

この投票現象は高額年俸に見合わない成績しか残せない川崎に対する反感および揶揄が原因だが、川崎の成績は故障による不可抗力によるものであるため感情論としてはともかく抗議として建設的なものではない。問題をFA制度批判に結びつける議論もある。この「祭り」を肯定する主張には、「組織投票」がオールスター投票において常態化していたことを指摘するものもある。オールスターファン投票は当初から「成績不振の選手が締め切り直前の大量得票で選出される」などさまざまな組織票の存在が指摘され問題になってきたが(1978年日本ハム選手の大量選出騒動など)、今回の騒動は一軍未登録選手に対するネットによる呼びかけで発生した、ある意味「組織のない組織票」という点が特徴的である(2ちゃんねるの板等といった場の不特定多数の参加者の集団を、非常に緩やかな「組織」と見做せば組織があると言えないこともない。コミッショナー事務局では「サイバーテロ」と認識している)。

いずれにしても非登録制かつ「1人1日5票まで」という、個人による大量投票を可能にしていたシステムの不備が、心無い者達につけ込まれる(ないしはそのように見做される行為を誘発する)原因になっている。

この騒動をうけて、翌年のオールスターゲームのインターネットファン投票では登録制などの対応策がとられた。その結果、2004年のインターネット投票が前年比170万票の大幅減少を見せている。

なお、アメリカメジャーリーグオールスターゲームでは明らかな不正があったと判断された票に関しては自動的に排除し集計しないようになっている。1999年のオールスターファン投票ではノマー・ガルシアパーラに約3万票の大量投票を行ったファンがいたことが発覚し、該当する票を無効票にしたことがある。また、投手は元々ファン投票では選出されないことになっている。

その他[編集]

その他の2ちゃんねるの投票運動としては、セリーグの一塁手にトレイ・ムーア(本来のポジションは投手)、パリーグの三塁手には小笠原道大中村紀洋の1位阻止)、セリーグのキャッチャーにカツノリ(父親が野村克也という親の七光りへの揶揄)、パリーグのDHに松坂大輔(本来のポジションは投手)などが呼びかけられていた。結果としてセリーグの一塁手でムーアは3位になり、パリーグの三塁手には小笠原が2位の中村を抑えて1位となった。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]