東京急行電鉄

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東京急行電鉄.png

東京急行電鉄株式会社(とうきょうきゅうこうでんてつ、Tokyu Corporation)は、東京都南西部から神奈川県東部に路線を展開して鉄軌道事業などを行う日本会社である。略称は東急(とうきゅう)。

公式略称は「東京急行」としていたが、2006年平成18年)1月1日より「東急電鉄」に変更した。それに伴い駅掲出のポスターチラシ類、公式サイトパスネットなどにおいて略称表記を順次「東急電鉄」に変更している。英語略称として、T.K.K (Tokyo Kyuko Kabushikigaisha) を使用していた時代もあった。

渋沢栄一が創設した田園都市株式会社が母体企業である[1]

概要[編集]

東急グループの中核企業である東京急行電鉄は、その成り立ちから鉄軌道事業以外の事業割合が大きく、不動産事業、ホテル事業など、鉄軌道事業以外の収益が同事業の収益をはるかに上回り、グループ全体の収益は毎年1兆円を超える。総営業距離は97.5kmと大手私鉄16社中11位であるが、単体売上高JRをのぞく日本の鉄道事業者で、東京地下鉄近畿日本鉄道に次ぎ、また営業キロ当たりの単体売上高は、25.4億円/kmと東京地下鉄の17.3億円/kmの約1.5倍であり、他を引き離している(2011年度)[注釈 1]。連結売上高は1位、利益は連結、単体ともに1位である(JRを含む場合は、JR東日本JR東海に続く3位)。グループ企業には、交通関係、開発関係、流通関係、リゾート関係、ホテル関係などに266社9法人が名を連ねる(2010年3月末現在)。

東京急行電鉄は、東急グループ内外を問わず東急グループの事業中核会社として認識されており、「東急本社」、「電鉄本社」と表現されることが多い。

1947年から1972年まで、プロ野球チームの「東急(急映・東映)フライヤーズ」(北海道日本ハムファイターズの前身)を所有していた。1964年まで、映画製作・配給を手掛ける東映(旧・東横映画)は東急グループの傘下であった[注釈 2]。また、かつてグループ企業に日本エアシステム(JAS、現・日本航空株式会社)があったことから、同社の株式移転などにより設立されたJALグループの持株会社である株式会社日本航空の筆頭株主だったが、2009年12月から2010年1月までに同社株を売却し資本関係は解消している。

東急と五島家[編集]

1943年に東京急行電鉄が刊行した『東京横浜電鉄沿革史』によると、東急の“創設者”は渋沢栄一となっている(東急の母体企業“田園都市創設者”という表現を用いている[2])。また、渋沢の子渋沢秀雄も田園都市株式会社の取締役支配人、及び東急電鉄の常任監査役をつとめていた。

しかし、東急の事実上の“創業者”は五島慶太と認知されている。これは、東急の源流企業である目黒蒲田電鉄が、当時、鉄道省の高級官吏であった五島慶太を経営陣に招聘し、それ以降、五島を中心に、同社が東京横浜電鉄、東京急行電鉄と変遷し、現在の東急グループが形成されたからである。しかしながら、対照される西武鉄道の堤家[注釈 3][注釈 4]と異なり、五島は資本による会社支配は行わなかった[注釈 5]。つまり五島家の東急の持株比率は低く、個人株主では国際興業小佐野賢治が筆頭であった。また、五島慶太の後継者五島昇も資本による会社支配を行わなかったことから、五島慶太・昇父子の経営者としての手腕や、パーソナリティでグループが結束を保ってきた歴史を有する。五島昇の後継者として目された昇の長男五島哲は、本田技研工業を経て東急取締役に就任し、東急建設社長をつとめたが、東急本社の社長には就任せずに他界したため(五島昇は哲の社長就任を望んでいたといわれる)、現在、東急グループの経営陣に五島家出身者はいない。

東急では、創業家たる五島家の名を冠した公益法人を擁してはいるものの、「偶然、五島家から名経営者が二代続けて出た」という見解で、五島家を公式にオーナー及び創業者とはしていない。また、五島昇が会長職に退き、以降、横田二郎清水仁、上條清文、越村敏昭、野本弘文という五島家の同族以外(社内には、上條清文・越村敏昭を五島家と無関係とするのは問題があるとする説がある)の社長が続いたことで、「東急がようやく“ふつうの会社”になった」という東急関係者もいる。

歴史[編集]

前史[編集]

東京急行電鉄の歴史は、渋沢栄一らが理想的な住宅地「田園都市[注釈 6][注釈 7]」の開発を目的に設立、1922年(大正11年)6月から洗足田園都市の分譲を開始[注釈 8]していた田園都市株式会社を始祖とし[3]、その鉄道部門を同年9月に子会社として分離した目黒蒲田電鉄(めぐろかまたでんてつ)に始まる。会社分離後の翌1923年(大正12年)8月、多摩川台地区(後の田園調布地域[注釈 9][注釈 10])の分譲も開始し、目黒蒲田電鉄はそれらの交通を担った[注釈 11]。つまり目黒蒲田電鉄は、田園都市株式会社と地権者が共同開発した分譲地を、その付加価値を高めるために、省線(現在のJR線)と結ぶ交通手段として設立されたのである。都市開発の一環としての鉄道事業という位置付けはこの当時からのものであり、戦後においても、多摩田園都市の開発に伴う田園都市線の延伸などのプロジェクトを行っている[4]

この開業に当たり、大阪の箕面有馬電気軌道(現在の阪急電鉄)の創業者で鉄道経営の実績があり、すでに田園都市株式会社を実質的に経営していた小林一三[注釈 12][注釈 13][注釈 14]は、その役員会で「僕が毎月上京して役員会で方針を定めて行くが、さっぱり実行出来ない。実行力のある人を役員に入れて貰わねば、せっかく毎月来ても何にもならぬ」と自身の代わりに鉄道省出身で未開業の武蔵電気鉄道(後の(旧)東京横浜電鉄、現在の東横線の母体)の経営に携わっていた五島慶太を推挙した[注釈 15][注釈 16][注釈 17]。こうして1922年(大正11年)10月、目蒲入りした五島慶太は陣頭指揮を執って同社を東都最大の私鉄に育成することとなる[注釈 18]

まず、1923年(大正12年)3月に目黒 - 丸子(現在の沼部)間を開業、洗足田園都市の居住者に交通の便を提供し、8月には多摩川台地区の分譲も始めた。同年9月11日、関東大震災が発生し東京市内は壊滅的な被害を受けたが、洗足田園都市の分譲地にはほとんど被害が無く[注釈 19]、11月には目黒 - 蒲田間を全通させることができ目蒲線(現在の目黒線の一部および東急多摩川線)と呼んだ。次に、目黒蒲田電鉄の姉妹会社である(旧)東京横浜電鉄(武蔵電気鉄道の後身)[注釈 20]1926年(大正15年)2月に丸子多摩川(現在の多摩川) - 神奈川間 (14.7km) を開通させ、目蒲線との相互乗り入れにより、目黒 - 神奈川間の直通運転を開始した[注釈 21]。そして翌1927年(昭和2年)8月には渋谷 - 丸子多摩川間 (9.1km) を開通させ、渋谷 - 神奈川間(23.9km)の直通運転を開始して、東横線と呼んだ[注釈 22]。1932年(昭和7年)3月には桜木町まで延長、東横線が全線開業した。これら沿線に1925年(大正14年)12月、多摩川園を開園、1934年(昭和9年)11月、渋谷に東横百貨店を、田園調布に田園テニス倶楽部を、1936年(昭和11年)に田園コロシアムを作るなど沿線住民の利便性を高めた。「乗客は電車が創造する」と言った小林一三が阪急で用いた手法を五島慶太も用いたのである。しかしそれだけでなく、大学等の学校を誘致する。まず、1924年(大正13年)、関東大震災で被災した東京工業大学蔵前から目蒲線の大岡山に土地の等価交換により移転させることに成功した[注釈 23]。そして、1929年(昭和4年)には慶應義塾大学日吉台の土地を無償提供し[注釈 24]、1934年(昭和9年)日吉キャンパスが開設された。1931年(昭和6年)に日本医科大学武蔵小杉駅近くの土地を無償提供し、1932年(昭和7年)に東京府立高等学校(後の東京都立大学、現:首都大学東京[注釈 25])を八雲に誘致、1936年(昭和11年)に東京府青山師範学校(現:東京学芸大学[注釈 26])を世田谷・下馬に誘致するなど、東横沿線は田園都市としてだけでなく学園都市としての付加価値も高まっていくことになり、かつ多くの通学客という安定的な乗客の獲得にもつながった[5]。また、1927年(昭和2年)7月から1929年(昭和4年)12月にかけて大井町 - 二子玉川間を開通させ大井町線と呼んだ[注釈 27]

その後、五島慶太は事業拡大に乗り出す。まず、目黒蒲田電鉄が池上電気鉄道(現在の池上線を運営)を買収・合併した。目黒蒲田電鉄と池上電気鉄道は開業当初から開発地域が競合していたが、その一方で合併話も持ち上がっていた。「当時の池上電鉄は経営が苦しいのに有利な条件を出しゴタゴタ言ってきた」そこで、経営者の後藤国彦とオーナーの川崎財閥とはうまくいっていないことを利用し、1933年(昭和8年)5月、五島慶太は、川崎財閥の総師川崎肇から「池上電鉄の株、全部で一二万株のうち八万五千株を一夜にして買ってしまい、万事うまくいった[6]」と買収して乗っ取ってしまったのである[7]。次に、(旧)東京横浜電鉄は玉川電気鉄道玉川線(現在の田園都市線の一部となった新玉川線の前身)および、世田谷線の母体)を買収・合併した。(旧)東京横浜電鉄は、当時渋谷の開発をめぐり玉川電気鉄道と競合していたが、五島慶太は同時に抱えていた地下鉄道建設を目的で設立された東京高速鉄道の案件で、渋谷駅の建設をするのに玉川電気鉄道の協力が必要だった。また玉川電気鉄道の電灯電力供給事業も欲しかった。そこで千代田生命内国貯金銀行が持っていた玉川電気鉄道の株五万六千株を買収、1936年(昭和11年)10月、五島慶太が社長に就任、乗っ取りに成功し、1938年(昭和13年)4月には(旧)東京横浜電鉄は玉川電気鉄道を合併した[8]

そして、目黒蒲田電鉄は1939年(昭和14年)10月1日に(旧)東京横浜電鉄を合併し、10月16日に、名称を逆に(新)東京横浜電鉄(とうきょうよこはまでんてつ)と改称した[注釈 28][注釈 29]。この時に、現在の東急の基本となる路線がほぼ一元的に運営されるようになっている。なお、田園都市株式会社は1928年(昭和3年)5月に、多摩川台地区などの分譲が完了したため、子会社である目黒蒲田電鉄に吸収合併されたが[9]デベロッパーとしての東急不動産の始祖でもあった[10]

「大東急」の時代[編集]

1938年(昭和13年)4月、電力国家管理法が公布され、1939年(昭和14年)4月に国策会社日本発送電が発足する。このことにより(旧)小田急電鉄[注釈 30]の親会社である鬼怒川水力電気は、得意先(売電先)を失うなどして経営が悪化する。それに伴い(旧)小田急電鉄も経営が悪化し、社長であった利光鶴松が五島慶太に経営を委ねた。1939年(昭和14年)10月、五島は小田急電鉄の取締役会で取締役に選任され、1941年(昭和16年)9月には社長に就任した[11]

前節で触れた東京高速鉄道は、渋谷 - 新橋 - 東京間の地下鉄建設を行う会社として、大倉財閥の門野重九郎、脇道誉と(旧)小田急電鉄の利光鶴松が組んで設立しようとした会社で、当時の東京市山手線内の鉄道施設権を独占していたが財源が無く東京高速鉄道に地下鉄道の施設権を譲渡したのであった。しかし東京高速鉄道も資金難であり第一生命の創業者である矢野恒太[注釈 31]に相談すると「東横電鉄の五島慶太を参加させること」を条件に出資し五島が常務(事実上の経営者)に就任、1934年(昭和9年)9月、会社は設立された。五島は、東京高速鉄道の渋谷から新橋までの運営は、すでに浅草 - 神田 - 新橋間で開業(1934年(昭和9年)6月に全通)していた東京地下鉄道と結んだ方が経営上の効率が良いと判断し、また東京市との約束「将来において東京地下鉄道と合併を条件に施設権を譲渡する」もあり、東京地下鉄道と交渉し両社間で直通することで半ば強引に合意した。しかし、東京地下鉄道側は合意に反し、1937年(昭和12年)3月、京浜電気鉄道と結んで京浜地下鉄道を設立し、東京高速鉄道との直通ではなく新橋から品川方面への延伸計画を発表した。これに対し五島は、東京地下鉄道の提携先である京浜電気鉄道株式の買い占めにかかり、1938年(昭和13年)1月、まず同社の大株主であった前山久吉(内国貯金銀行頭取)から株式を入手、次いで1939年(昭和14年)3月、京浜電鉄会長である望月軍四郎からも入手、東京高速鉄道は京浜電鉄株の過半数を所有、同年4月、京浜電気鉄道を傘下にし、同時に姉妹会社である湘南電気鉄道も傘下におさめ[注釈 32]、6月に五島慶太は京浜電鉄の専務に就任、1941年(昭和16年)11月には社長に就任した[12]。その東京高速鉄道であるが、1938年(昭和13年)12月、渋谷から虎ノ門間を開通し、1939年(昭和14年)1月には新橋まで延伸したが、前述の東京地下鉄道側の抵抗により東京高速鉄道の新橋駅を別に建設しての運行を余儀なくされていた。しかし同年8月には、東京地下鉄道の株も大株主の穴水熊雄から買収して乗っ取り、やっと9月に東京高速鉄道と東京地下鉄道の相互乗り入れが始まった。結局、陸上交通事業調整法により1941年(昭和16年)9月、両社は京浜地下鉄道と共に帝都高速度交通営団に併合され、地下鉄に関しては五島の乗っ取りはかなわなかった[13]

そして、1942年(昭和17年)5月1日に、陸上交通事業調整法による戦時統制の背景もあり、同じ五島慶太が社長を務める(旧)小田急電鉄を譲受・合併、京浜電気鉄道を買収・合併して、商号を東京急行電鉄と改称した[14]。さらに、1944年(昭和19年)5月31日には、やはり電力国家管理法により電灯電力給電事業が奪われて経営が悪化していた京王電気軌道を買収・合併した[15]。前述の通り(旧)小田急電鉄は五島慶太に経営の再建を委ねたのであるが、その他の池上電気鉄道、玉川電気鉄道、京浜電気鉄道、京王電気軌道の買収・合併は、つまりこの「ライバルや敵を身内にしてしまう」やり方は、主に株式の買い占めを図ることで行われ[注釈 33]、これらの会社を「あたかも札束をもって白昼強盗を働くように買収」し、その強引なやり方から、五島は名字をもじって「強盗慶太」なる異名をとっていた[注釈 34]。またこれら4社以外にも、1941年(昭和16年)11月までに、その資本力にもの言わせ買収した会社は、相模鉄道静岡電気鉄道江ノ島電気鉄道神中鉄道など、30社以上に達した[16]。さらに1944年(昭和19年)2月には五島慶太が運輸通信大臣に就任した。この時代、路線延長は約320kmにもおよび、北は中央線から南は三浦半島、西は箱根までをテリトリーとするいわゆる「大東急」の時代となる。

しかし、戦後は一変、独占禁止法過度経済力集中排除法が施行される。「大東急」はこれらの法律の適用から除外されたものの、「大東急も当てはまる」と主張する(旧)小田急電鉄関係者を中心にかつての4社への復元運動が勃発する。これを受けて経営陣は会社経営の民主化に乗り出す。また、戦中の空襲での被害が沿線地域に集中しており、復興するためには一企業での資金調達が限界があり困難となったため、まず1947年(昭和22年)相模鉄道や静岡鉄道など傘下会社の持株の大部分をその会社の役職員などに譲渡し放出(相模鉄道の運営受託は持株放出直前の同年5月31日に終了している)。そこへ8月、五島慶太が公職追放に追い込まれる。そして1948年(昭和23年)5月に百貨店部門を東横百貨店(現・東急百貨店)に分離し、6月に小田急電鉄、京浜急行電鉄(京急)、京王帝都電鉄(現・京王電鉄)[注釈 35]を分離させ、大東急の「再編成」を行った。ただし、三私鉄の分離独立後も、各社の幹部人事は五島慶太が指示しており、長男の五島昇を京王帝都、京急、小田急の取締役に就任させていた(五島昇が死去する1989年(平成元年)まで続いた)。その他、京王帝都の三宮四郎社長(東急出身)が大映曾我正史専務と組んで、映画会社日映設立の動きを見せると、当時、財務基盤が脆弱だった京王帝都の中核事業以外への過剰投資を憂慮した東急側の意向により、日映設立を中止させ、三宮社長を事実上更迭した例(日映事件)や、西武鉄道と激しく抗争した箱根・伊豆開発では小田急の安藤楢六社長を通じて代理戦争を演じた例(箱根山戦争)など、戦後しばらくは東急系三私鉄は、東急の衛星企業として機能した。

東京急行電鉄再発足以後[編集]

その後、公職追放から1951年(昭和26年)8月に復帰した五島慶太は、その提唱する多摩田園都市構想に基づき、その動脈である田園都市線を建設する。「東京都の人口が750万人以上になれば公共施設が追いつけず、その機能が失われると思われる。人口膨張により東京都自身がゆき詰まってしまう。そこで大山街道(現在の国道246号線)沿いに500万坪(1650万平米)[注釈 36]を買収して第二の東京都をつくる事を計画した。これを実施するのは、田園調布などの街づくりに実績のある当社が適当である。大山街道沿いに沿って10カ所ほどの小都市をつくって、同時にこの地方全体の発展を図りたいと考えている。(五島慶太口述「城西南地区開発趣意書」より)」1953年(昭和28年)1月に発表されたこの構想により、城西南地区(川崎市中部、横浜市北部)を4ブロックに分け、それぞれの地区に新都市を建設する計画を立てた。その後、横浜市港北区(現都筑区)に当る第3ブロックは鉄道建設区域から離れているため東急電鉄自体での開発は断念し(後に横浜市の港北ニュータウンとなる)、元の第4ブロックを第3ブロックとし、新たに町田市南部、大和市北東部を第4ブロックとし開発を推進した[17]。まず1963年(昭和38年)10月、大井町線(大井町 - 溝の口間)を田園都市線と改称し、1966年(昭和41年)4月、これを延長する形で溝の口 - 長津田間を開業、その後徐々に延伸した。1977年(昭和52年)4月、1969年(昭和44年)5月に廃止された玉川線の継承路線である新玉川線(渋谷 - 二子玉川園間)が開通、11月には田園都市線と快速列車が直通運転を開始した。1979年(昭和54年)8月には、 全列車が田園都市線から新玉川線を経由して半蔵門線方面へ直通運転を開始し、同時に大井町 - 二子玉川園間を大井町線として分離した。1984年(昭和59年)4月には、つきみ野 - 中央林間が全線開業し、多摩田園都市の基礎的インフラが完成する。また2009年(平成21年)7月には、沿線の人口増加による混雑対策として、田園都市線の二子玉川 - 溝の口間が複々線化され、バイパス路線として大井町線が溝の口駅まで乗り入れを開始した。

その五島慶太に東急の祖業であるとまで言わしめた東横線であるが、1964年(昭和39年)8月に営団(現:東京メトロ日比谷線と、中目黒 - 日吉間で直通運転を開始した。1988年(昭和63年)3月からやはり混雑対策として、東横線の複々線化工事に着手、最初の工事である日吉駅改良工事に伴い、同年8月から菊名まで日比谷線との直通運転区間が延長された。そして2000年(平成12年)8月、田園調布 - 武蔵小杉間の複々線化工事が完了、うち2線を利用し、目蒲線の目黒 - 田園調布間と直通運転することにより目黒 - 小杉間を目黒線[注釈 37]とし、東横線のバイパス路線とした。そして同時に目蒲線の多摩川 - 蒲田間は東急多摩川線として分割され、東急電鉄が最初に施設した路線である目蒲線の名称は消滅した。2000年9月に、目黒線は東京メトロ南北線都営三田線との相互直通運転を開始し、続いて2001年3月には、南北線を介して埼玉高速鉄道線との相互直通運転も開始し、2008年6月には、日吉まで延長開業した。2004年(平成16年)2月1日、横浜駅から横浜高速みなとみらい線の横浜 - 元町・中華街と直通運転を開始し、これに伴い前日の1月31日に横浜 - 桜木町間が廃止となった。2013年(平成25年)3月16日、渋谷 - 代官山間の地下化が完成し、東横線は東京メトロ副都心線と直通運転を開始、副都心線を介して東武東上線西武池袋線との相互乗り入れも開始され、横浜高速鉄道も含め5社による相互直通運転となった。同時に、49年間続いた日比谷線直通運転は終了となり、同線はすべてが中目黒での折り返しとなった。

1991年(平成3年)にはバス部門を分離し、東急バスとしている。

大東急の名残として、東横目蒲電鉄健康保険組合(1935年4月1日設立)を祖とし、東京急行電鉄、京王電鉄、京浜急行電鉄、相模鉄道、東映、関東バスおよび小田急電鉄の母体事業所および子会社などを含めた健康保険組合である、東京西南私鉄連合健康保険組合(1948年改組)の存在があげられる。近年、小田急グループは分離独立したが、2003年(平成15年)4月1日、東急車輛健康保険組合との合併を経て現在に至っている。また、合併されていた4私鉄は現在でも電動車の形式記号に「モ」ではなく「デ」を使用している。また、五島昇が社長・会長をつとめていた当時は、東急系の京王帝都、京急、小田急各社の非常勤取締役に就いており、系列の東急エージェンシー東急レクリエーションは、現在でも上記3社とは資本的、人的関係を有するのも大東急の名残といえる。

なお、現在の京王電鉄、小田急電鉄、京浜急行電鉄は、東京急行電鉄の全額出資のもと設立された新会社であり、現在でも東京急行電鉄が各社の株式200万株程度を保有する主要株主である。さらにこの東急系4社は相互に株式の持ち合いをおこなっており、親密な関係にある。また、大東急記念文庫は、東急のほか、発足後の京急、小田急、京王各社が出資して設立され、現在もなお、東急系4社が経営している。

年表[編集]

※前身企業である田園都市(株)、目黒蒲田電鉄、および(旧)東京横浜電鉄から大東急までの各会社の時代の詳細な年表は、それぞれ「田園都市(株)」、「目黒蒲田電鉄」、および「東京横浜電鉄」の各社史年表を、多摩田園都市開発に関しては「多摩田園都市開発年表」を参照のこと。

前史[編集]

「大東急」の時代[編集]

東京急行電鉄再発足以後[編集]

  • 1948年(昭和23年)
  • 1949年(昭和24年)5月16日 東京急行電鉄、東京証券取引所に再上場。
  • 1950年(昭和25年)
  • 1951年(昭和26年)
    • 6月30日 日本交通の東急系持株(約5割超)のほとんどを日東自動車の創業家の川鍋家に譲渡。
    • 8月6日 五島慶太が公職追放を解除。
  • 1952年(昭和27年)5月6日 五島慶太が取締役会長に就任。
  • 1953年(昭和28年)
  • 1954年(昭和29年)
    • 5月1日 国民相互銀行がグループ入り。
    • 5月6日 五島昇が取締役社長に就任。
    • 10月16日 東横線に5000系(旧型)車両を導入。
  • 1955年(昭和30年)4月1日 学校法人五島育英会を設立。
  • 1956年(昭和31年)
  • 1957年(昭和32年)
  • 1958年(昭和33年)
    • 7月21日 東京ヒルトンホテル設立。
    • 11月4日 上田丸子電鉄(現・上田交通、鉄道部門は上田電鉄に分社)グループ入り。
  • 1959年(昭和34年)
  • 1960年(昭和35年)
  • 1961年(昭和36年)
  • 1962年(昭和37年)
  • 1963年(昭和38年)10月11日 大井町線を田園都市線と名称変更。
  • 1964年(昭和39年)
  • 1965年(昭和40年)
  • 1966年(昭和41年)4月1日 田園都市線溝の口 - 長津田間が開通。
  • 1967年(昭和42年)
  • 1968年(昭和43年)
    • 4月1日
      • 東横線でATS(自動列車停止装置)の使用開始。
      • 田園都市線長津田 - つくし野間が開通。
    • 6月1日 東急ホテルチェーンを設立。
    • 12月6日 東急海外ホテルを設立。
  • 1969年(昭和44年)
    • 5月10日 玉川線(渋谷 - 二子玉川園間)と砧線(二子玉川園 - 砧本村間)を廃止。
    • 5月10日 玉川線(三軒茶屋 - 下高井戸間)を世田谷線と名称変更。
    • 11月30日 東横線に8000系を導入。
  • 1970年(昭和45年)3月1日 池上線にATS(自動列車停止装置)を設置、鉄道全線にATS設置完了。
  • 1971年(昭和46年)2月20日 祐天寺、学芸大学、桜木町の3駅が自動化駅に。祐天寺、学芸大学にオープンカウンターを開設。
  • 1972年(昭和47年)
    • 4月1日
      • 東急広報委員会を設立。
      • 田園都市線つくし野 - すずかけ台間が開通。
    • 4月28日 第1回苗木プレゼント(東急グリーニング運動)実施。
    • 7月12日 東急グループのスローガンを「人間の豊かさを求める - ヒューマナイザー東急グループ」と決定。
    • 9月1日 東京急行電鉄、創立50周年式典を挙行。
    • 10月5日 長津田車両工場を竣工。
  • 1973年(昭和48年)
    • 5月1日 現行の社章が制定される。この社章色にちなみ、以後の新車もをシンボルカラーに採用。
    • 11月1日 イン事業の直営第1号店として京都東急インを開業。
  • 1974年(昭和49年)8月28日 とうきゅう環境浄化財団を設立。
  • 1975年(昭和50年)10月23日 とうきゅう外来留学生奨学財団を設立。
  • 1976年(昭和51年)10月15日 田園都市線すずかけ台 - つきみ野間が開通。
  • 1977年(昭和52年)4月7日 新玉川線渋谷 - 二子玉川園間が開通。
  • 1978年(昭和53年)11月16日 田園都市線 - 新玉川線(現:田園都市線渋谷 - 二子玉川)が直通快速列車を運転開始(1996年4月、すべての快速列車を急行列車に変更)。
  • 1979年(昭和54年)
    • 4月1日 東横線にTTC(列車運行総合制御装置)を導入。
    • 8月12日 田園都市線 - 新玉川線(現:田園都市線) - 営団(現:東京メトロ)半蔵門線の全列車直通運転開始。
  • 1980年(昭和55年)
    • 9月2日 各地域における東急グループの組織である「東急会」の再編および「東急会連合会」の発足。
    • 12月27日 東横線に軽量ステンレスカー8090系を導入。
  • 1981年(昭和56年)7月29日 マウナ ラニ リゾートにゴルフ場が完成。
  • 1982年(昭和57年)
  • 1983年(昭和58年)
    • 2月14日 マウナ ラニ ベイ ホテル(現:マウナ ラニ ベイ ホテル アンド バンガローズ)をオープン。
    • 3月2日 東急有線テレビ(現:イッツ・コミュニケーションズ)を設立。
    • 10月3日 カルチャースクール 東急クリエイティブライフセミナー渋谷BEを開設。
    • 11月30日 クレジット・イチマルキュウ(現:東急カード)を設立。
  • 1984年(昭和59年)
  • 1985年(昭和60年)9月20日 香林坊第一開発ビル(金沢東急ホテル(現:金沢エクセルホテル東急)、KOHRINBO 109)がグランドオープン。
  • 1986年(昭和61年)
    • 2月5日 ニューステーションプラン1号店として、自由が丘駅総合サービスセンター(現:テコプラザ)開業。
    • 3月9日 東横線に新型車両9000系を導入。
    • 10月1日 東急グループのスローガンを「21世紀へ豊かさを深める - とうきゅうグループ」と制定。
    • 11月21日 東急総合研究所を設立。
  • 1987年(昭和62年)
    • 8月14日 軽井沢72女子オープンゴルフトーナメントを開催( - 1991年)
    • 10月2日 東急ケーブルテレビジョン(現:イッツコミュニケーションズ)が開局、渋谷区と横浜市緑区で営業放送を開始。
    • 12月25日 横田二郎副社長が取締役社長に、五島昇社長が会長に就任。
  • 1988年(昭和63年)
    • 3月11日 東横線複々線化工事および目蒲線改良工事の最初の工事として日吉駅改良工事に着手。
    • 4月12日 多摩田園都市が日本建築学会賞を受賞。
    • 12月26日 日比谷線乗り入れ車両として新型車両1000系を導入。
  • 1989年(平成元年)
    • 1月26日 こどもの国線ワンマン化。
    • 3月19日
      • 3000系車両(旧型)が営業運転終了、鉄道の全車両がステンレス車体になる。
      • 池上線旗の台 - 戸越銀座間の連続立体交差化工事が完了、13か所の踏切を解消。
    • 3月20日 五島昇会長が死去。
    • 9月3日 東京渋谷に複合文化施設Bunkamuraを開業。
    • 10月26日 多摩田園都市が緑の都市賞で内閣総理大臣賞を受賞。
    • 11月4日 田奈一号踏切道を廃止、田園都市線は踏切ゼロの路線になる。
  • 1990年(平成2年)
    • 3月16日 五島記念文化財団を設立。
    • 4月18日 東急アクションプラン21を発表。
  • 1991年(平成3年)
    • 3月16日 田園都市線・新玉川線(現:田園都市線)に新型ATC(自動列車制御装置)を導入。
    • 5月21日 東急バスを設立。
    • 5月29日 池上線の連続立体交差化工事が土木学会技術開発賞を受賞。
    • 10月1日 自動車事業を分離独立、東急バスが営業開始。
  • 1992年(平成4年)
    • 3月19日 東急インチェーン(現:東急ホテルズ)の新ブランド「エクセルホテル東急」の1号店として、富山エクセルホテル東急を開業。
    • 3月31日 田園都市線・新玉川線に新型車両2000系を導入。
    • 7月14日 東急南平台町ビル(現本社ビル)が竣工。
    • 11月1日 鉄道現業部門の制服を一新。
    • 12月18日 福島県裏磐梯にグランデコ ホテル&スキーリゾートをオープン。
  • 1993年(平成5年)
  • 1994年(平成6年)
    • 2月7日 MM21地区・24街区プロジェクト(クイーンズスクエア横浜)に着手。
    • 4月29日 田園都市線田奈駅に「多摩田園都市まちづくり館」をオープン。
    • 10月1日
      • フィットネス&アクアアトリオあざみ野をオープン。
      • 第1回 とうきゅう Thanks Daysを開催。
    • 10月4日 世田谷ビジネススクエアが都市景観大賞を受賞。
  • 1995年(平成7年)
  • 1996年(平成8年)
    • 2月1日 インターネット上にホームページを開設。
    • 3月12日 田園調布 - 多摩川園間改良工事地下化完成。
    • 4月26日 田園都市線・新玉川線、大井町線でダイヤ改正(日中時間帯、急行列車を中央林間まで延長)。
    • 6月1日 横浜市青葉区の社有地で定期借地権事業(事業用)に参入。
    • 10月1日 東急車輛製造の 東急インテリジェント・パーキング (TIP) システム一号機が上大岡で稼働。
    • 11月18日 三軒茶屋・太子堂四丁目地区市街地再開発事業が竣工、キャロットタワーが開業。
  • 1997年(平成9年)
    • 2月27日 八王子駅北口地区市街地再開発事業が竣工(3月14日に商業施設 八王子東急スクエアが開業)。
    • 3月20日 東横線渋谷 - 菊名間にATC(自動列車制御装置)を導入。
    • 4月1日 会員制インターネットサービス 246-netがサービス開始、プロバイダ事業に参入。
    • 7月18日 MM21・24街区 クイーンズスクエア横浜が街びらき(7月18日に専門店街アット!が、8月7日にパン パシフィック ホテル横浜が、9月5日に百貨店クイーンズ イーストがそれぞれ開業)。
    • 9月1日 次の時代に向けた東急グループ理念体系を決定、新スローガン 「美しい時代へ - 東急グループ」を制定。
  • 1998年(平成10年)
    • 3月16日 池上線でワンマン運転を開始。
    • 4月1日 東急ケーブルテレビジョン(現:イッツ・コミュニケーションズ)がCATV網を活用した超高速インターネット接続サービスを開始。
    • 6月1日 東急アニバーサリービデオ事業が始動。
    • 7月1日 環境活動を全社的な統一テーマとして取り組むために 環境活動推進委員会を設置。
  • 1999年(平成11年)
    • 1月25日 タイムシェアリゾート事業に進出(商品名:ビッグウィーク)。
    • 1月31日 東急百貨店日本橋店閉店。
    • 3月19日 長津田車両工場が民鉄の鉄道車両整備工場としては初めて、環境管理の国際規格ISO 14001の認証を取得。
    • 4月16日 東横線に新形式車両3000系を導入(現在は目黒線で運用)。
    • 5月15日 環境共生型住宅 市が尾邸宅を販売開始。
    • 6月24日 クイーンズスクエア横浜が建設大臣賞受賞。
    • 7月2日 タイムシェアリゾート事業・利用権交換システム会社として東急ビッグウィークステーションを設立。
    • 7月11日 世田谷線に更新車両300系を導入。
    • 10月1日 東急インチェーン(現:東急ホテルズ)がインターネットリアルタイム予約システムを導入。
  • 2000年(平成12年)
    • 1月7日 東急百貨店日本橋店跡地の再開発計画、計画促進を東京急行、三井不動産で合意。
    • 1月15日 田園調布駅旧駅舎を復元。
    • 2月12日 田中勇相談役が死去。
    • 3月1日 東急インチェーン・東急ホテルチェーンの宿泊予約サイト「東急チェックインドットコム」を開設。
    • 3月29日 こどもの国線通勤線化、中間駅として恩田駅を開業。
    • 4月7日
      • 東京急行、トヨタが共同で、広帯域・インターネット・アプリケーションサービスを提供するために AII企画株式会社(現:AII株式会社)を設立。
      • 東京急行、帝都高速度交通営団(現:東京メトロ)、京王電鉄の3社共同プロジェクト 渋谷マークシティが開業。ホテル棟に 渋谷エクセルホテル東急がオープン。
    • 4月10日 東京急行、小田急電鉄、相模鉄道、東武鉄道の4社が発起人となって、CATVのデジタル化のための 日本デジタル配信株式会社を設立。
    • 4月18日 東急グループ経営方針を発表。
    • 4月21日 田園都市線・南町田駅前にオープンモール型ショッピングセンター グランベリーモールを開業。
    • 6月30日 東京急行、ソニー、東急ケーブルテレビジョン(現:イッツ・コミュニケーションズ)の3社で、ブロードバンド・ネットワーク事業で戦略的に提携していくことで合意。
    • 8月6日
      • 東横線の多摩川 - 武蔵小杉間を複々線化。目蒲線の運行系統を目黒 - 武蔵小杉間の目黒線[注釈 37]と多摩川 - 蒲田間の東急多摩川線の2系統に分割。目黒線・東急多摩川線でワンマン運転を開始。
      • 田園都市線・新玉川線を田園都市線に統一。多摩川園駅を多摩川駅に、二子玉川園駅を二子玉川駅に駅名変更。
    • 8月15日 東急ファンのための専用サイト レールファン東急を開設。
    • 9月26日
      • 目黒線と営団(現:東京メトロ)南北線・都営三田線との相互直通運転を開始。
      • 自動改札機で利用客の乗降を確認する フェアスルーシステムを導入。
    • 10月14日 首都圏の20鉄道事業者で共通乗車カードシステム パスネットを導入。
    • 10月16日 携帯電話電源OFF車両(列車の偶数車両)を全国で初めて設置。
    • 11月29日 本社部門でISO14001の認証取得。
  • 2001年(平成13年)
    • 1月9日 東急ホテルマネジメント設立。
    • 1月15日 東急沿線の生活サイト「salus(サルース)」開設。
    • 2月11日 世田谷線がノンステップ化、新型300系車両への置き換え完了。
    • 3月11日 天文博物館五島プラネタリウム閉館。
    • 3月28日
      • 目黒線が埼玉高速鉄道と相互直通運転を開始。
      • 東横線に特急を新設。
    • 3月30日 ソニー、東急ケーブルテレビジョン(現:イッツ・コミュニケーションズ)と次世代型CATVインターネットサービス提供開始で合意。
    • 3月31日 石油販売事業の営業を終了。
    • 4月1日 東急沿線の情報誌salus(サルース)創刊。
    • 4月20日 東横線複々線化事業が平成12年度土木学会賞技術賞を受賞。
    • 5月24日 セルリアンタワーがグランドオープン。
    • 6月27日 東急リアル・エステート・インベストメント・マネジメントを設立。
    • 6月28日 清水仁社長が会長に、上條清文副社長が社長に就任。
    • 7月11日 日本橋一丁目計画着工。
    • 7月17日 株式交換により東急ホテルチェーンを完全子会社化。
    • 7月23日 東急ホテルズ予約センターを開設。
    • 7月29日 渋谷駅構内に新業態店舗ranKing ranQueen(ランキンランキン)開業。
    • 8月1日 東急ケーブルテレビジョンが、イッツ・コミュニケーションズに社名変更。
  • 2002年(平成14年)
    • 1月4日 東急グループコンプライアンス指針を制定。
    • 1月29日 東横線と営団13号線(現:東京メトロ副都心線)の相互直通運転実施(2012年度)を決定。
    • 3月1日 青葉台東急スクエアがグランドオープン。
    • 3月23日 乗車券を2枚同時投入できる自動改札機を導入。
    • 3月28日 田園都市線、大井町線ダイヤ改正、あざみ野駅を急行停車駅に変更。
    • 3月29日 平塚市五領ケ台特定土地区画整理事業(湘南めぐみが丘)が完成。
    • 4月1日
      • 東急ホテルチェーンと東急インチェーンのホテルチェーン名を東急ホテルズに統一。
      • 東急運輸、東京通運の2社経営を相鉄運輸に統合(新社名:東急ロジスティック)。
      • 東急保険コンサルティングの営業を開始。
      • 246-netの営業をイッツ・コミュニケーションズに譲渡。
      • JR東急目黒ビル、グランドオープン。
    • 5月2日 田園都市線に新形式車両5000系を導入。
    • 5月27日 国内ホテル経営機能の集約(ホテル事業を東急ホテルチェーンに譲渡)を発表。
    • 5月28日 東急文化会館の閉鎖、解体(2003年6月)を決定。
    • 6月27日 インターネットによる株主総会の議決権行使、決算公告に代えて、ホームページによる貸借対照表および損益計算書の開示を導入。
    • 7月1日 東急サービスと東急管財が合併(会社名:東急ファシリティサービス)。
    • 7月7日 世田谷線にICカード乗車券 せたまるを導入。
    • 8月1日 携帯端末向け列車運行情報提供サービスを開始。
    • 10月1日 株式交換により、東急車輛製造を完全子会社化。
    • 10月20日 横浜市青葉区で市内初のコミュニティ放送FMサルースを開局。
    • 12月27日 固定資産の信託設定ならびに信託受益権の譲渡を発表(東急南平台町ビル、東急桜丘町ビル、第2東急鷺沼ビル)。
  • 2003年(平成15年)
    • 3月15日 東急109センターの名称を「東急お客さまセンター」に改称、営業時間拡大、土日の営業を開始。
    • 3月19日 東急線ダイヤ改正(世田谷線をのぞく)。
      • 営団地下鉄(現:東京メトロ)半蔵門線水天宮前 - 押上間延伸開業、同時に押上駅から東武伊勢崎線を経由して日光線南栗橋駅までの相互乗り入れを開始。
      • 東横線に通勤特急を新設。
    • 3月20日 電車とバスの博物館が宮崎台駅に移転、リニューアルオープン。
    • 3月26日 東京急行電鉄中期2カ年経営計画を策定。
    • 4月1日
      • 事業持株会社化に向けた機構改革を実施、事業部門を鉄道事業、都市生活事業の2本部体制に。
      • ホテル事業を東急ホテルチェーンに営業譲渡。
    • 5月1日
      • 全駅を終日禁煙化。
      • 映像制作支援事業 tokyu C&C(トーキュウシーアンドシー)が本営業を開始。
    • 6月30日 東急文化会館閉館。
    • 9月10日 東急リアル・エステート投資法人が東京証券取引所に上場。
    • 9月15日 電車内における携帯電話マナーのご案内を、関東17の鉄道事業者で統一。
    • 9月26日 株式交換による東急観光の完全子会社化(2004年1月1日)を決定。
    • 10月1日 東急建設が建設事業と不動産事業に会社を分割、建設事業を継承するTCホールディングスが商号を東急建設に変更し、東証一部に再上場。
    • 10月10日 オープンモール型ショッピングセンター「箕面マーケットパーク ヴィソラ」。
  • 2004年(平成16年)
    • 1月1日 株式交換により東急観光を完全子会社化。
    • 1月30日 東横線横浜 - 桜木町間の営業を終了。
    • 2月1日 みなとみらい線開業、東横線が相互直通運転を開始。
    • 3月1日 箱根ターンパイク(自動車道事業)を豪マッコーリーグループに営業譲渡。
    • 3月31日 東急観光株式の約85%をアクティブ・インベストメント・パートナーズに譲渡。
    • 4月1日 障害者の雇用促進を目的とした会社 東急ウィルを設立。
    • 4月7日 あざみ野に遊水池の上部空間を利用した商業施設 悠・粋・知 三規庭が開業。
    • 6月26日 横田二郎相談役(元社長)が死去。
    • 9月27日 株式交換により東急百貨店を完全子会社化することを発表。
    • 10月1日 株式交換により伊豆急行を完全子会社化。
    • 12月1日 東急セキュリティが本格営業を開始。
    • 12月15日 東急エアカーゴ株式の当社保有分をバンテックホールディングスに譲渡。
  • 2005年(平成17年)
    • 2月10日 東横線渋谷 - 横浜駅間改良工事が特定都市鉄道整備事業計画として認定。
    • 2月14日 田園都市線で使用されている5000系車両の5号車と8号車に6ドア・座席格納車両を導入、以降順次同系に拡大導入。
    • 3月4日 二子玉川東地区再開発組合の設立が認可。
    • 3月20日 運賃改定で、特定都市鉄道整備事業計画で行われてきた田園都市線渋谷 - 溝の口間を含む区間に対する10円の加算運賃廃止。
    • 3月28日 東京急行電鉄中期3カ年経営計画を発表。
    • 4月1日
      • 執行役員制度導入と機構改革実施。
      • 株式交換により東急百貨店を完全子会社化。
    • 5月9日 田園都市線に女性専用車両を導入。
    • 6月15日 東急ロジスティック株式の当社保有分をエスビーエスに譲渡。
    • 6月29日 上條清文社長が会長、越村敏昭専務が社長に就任。
    • 7月25日 東横線に女性専用車両を導入。
  • 2006年(平成18年)
    • 3月18日 田園都市線・半蔵門線、東武伊勢崎線久喜駅へも乗り入れ開始。
    • 7月2日 目黒線不動前 - 洗足間地下化。
    • 9月24日 東横線武蔵小杉 - 日吉間高架化。
    • 9月25日 目黒線で急行の運転を開始。
  • 2007年(平成19年)
    • 3月18日 共通ICカード乗車券PASMOを導入。同時にJR東日本Suicaと相互利用開始。
    • 4月5日 混雑平準化を目的として、田園都市線の平日朝最混雑時間帯の急行を準急に格下げ。
    • 12月25日 池上線・東急多摩川線に新型車両7000系(2代)を導入。
  • 2008年(平成20年)
    • 2月22日 8000系全車両が運用から離脱(譲渡車をのぞく)。
    • 3月28日 大井町線に新型車両6000系(2代)を導入し、同時に急行運転開始。
    • 4月1日 駅係員、乗務員の制服をリニューアル。創立70周年の1992年以来となる。
    • 5月7日 同社が川崎市から購入した同市宮前区内の土地の土壌汚染に関して、同市が搬入した焼却に原因があると訴えていた件に関し、公害等調整委員会は、川崎市に損害賠償の支払いを命じる。
    • 6月22日 目黒線武蔵小杉 - 日吉間延伸開業。
    • 7月1日 東急ストアを株式交換により完全子会社化。
    • 10月11日 鉄道線自動改札の半数以上を、ICカード専用化。
  • 2009年(平成21年)
    • 3月10日 田園都市線で運用されている5000系車両の4号車を6ドア・座席格納車両に差し替えると発表(2009年12月まで順次実施)。
    • 7月11日 大井町線が溝の口駅まで延伸開業。
  • 2012年(平成24年)
    • 2月上旬 全駅に順次、駅ナンバリングを導入[19]
    • 3月30日 「〜スマートモデル自由が丘駅あかりプロジェクト〜」として、東急線ではじめて自由が丘駅構内すべてを調光・調色LED照明およびLEDサインとし、さらにシースルー改札口と定期券うりばには、一般照明としては日本初の実用的設置となる次世代照明「有機EL(有機エレクトロルミネッセンス)照明器具」を導入。
    • 4月26日 東急文化会館跡地に複合商業施設渋谷ヒカリエ」が開業。
  • 2013年(平成25年)
    • 3月16日 東横線渋谷 - 代官山間が地下化され、東京メトロ副都心線東武東上線西武有楽町線西武池袋線との相互直通運転を開始、日比谷線との直通運転を終了。
    • 3月23日 KitacamanacaTOICAICOCAPiTaPanimocaはやかけんSUGOCAがIC乗車カード全国相互利用開始で利用可能になる。
    • 4月2日 「武蔵小杉東急スクエア」が開業。
    • 4月20日 緑が丘駅の照明やサインが東京急行電鉄で2番目となる全面LED照明化され、ホームやコンコースでは調光するLED照明が導入される。
    • 8月1日 窓口・自動券売機の定期券販売でJCBAmerican ExpressDiners Clubの取扱開始[20]
    • 3月20日 蒲田駅が東京急行電鉄で3番目となる全面LED照明化され、調光するLED照明が導入される。

歴代経営陣[編集]

歴代社長
氏名 在任期間 出身校 備考
竹田政智 1922年10月2日 - 1928年5月7日 創業者渋沢栄一の縁戚、東京造園社長
2 五島慶太 1928年5月7日 - 1944年2月19日 東京帝国大学(法) 鉄道省運輸通信大臣東條内閣
3 篠原三千郎 1944年2月21日 - 1945年3月12日
4 平山孝 1945年3月12日 - 1945年8月20日
5 小宮次郎 1945年8月20日 - 1946年3月1日
6 小林中 1946年3月1日 - 1947年10月16日 早稲田大学(政経)中退 富国生命社長
7 井田正一 1947年10月16日 - 1948年12月27日 京浜電気鉄道出身、京浜急行電鉄社長
8 鈴木幸七 1948年12月27日 - 1954年5月6日
9 五島昇 1954年5月6日 - 1987年12月25日 東京帝国大学(経) 東芝日本商工会議所会頭
10 横田二郎 1987年12月25日 - 1995年4月28日 東京帝国大学(電気)
11 清水仁 1995年4月28日 - 2001年6月28日 一橋大学(経)
12 上條清文 2001年6月28日 - 2005年6月29日 早稲田大学(政経) イン事業部出身、五島(慶)派閥
13 越村敏昭 2005年6月29日 - 2011年4月1日 早稲田大学(法) イン事業部出身、五島(慶)派閥
14 野本弘文 2011年4月1日 - 早稲田大学(土木) 東急不動産イッツ・コミュニケーションズ(旧東急ケーブルテレビジョン)元社長

鉄・軌道事業[編集]

路線[編集]

営業中の路線[編集]

鉄道99.9km(第1種鉄道事業96.5km(東横線と目黒線、田園都市線と大井町線の並行部分もそれぞれ計上)、