英霊の聲

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英霊の聲』(えいれいのこえ)は、三島由紀夫短編小説1966年(昭和41年)、文芸雑誌「文藝」6月号に掲載され、同年6月30日に河出書房新社より、作品集『英霊の聲』として単行本刊行された。この本には、『憂国』と戯曲『十日の菊』も収録され、二・二六事件三部作として纏められた。現行版は河出文庫より重版されている。

『英霊の聲』は、二・二六事件で処刑された青年将校・磯部浅一の『獄中日記』から強い影響を受けて執筆された。三島は評論『文化防衛論』のあとがきの中で、「小説『英霊の聲』を書いたのちに、かうした種類の文章を書くことは私にとつて予定されてゐた」と記しているように、三島の60年代後半において重要な意味を持つ小説である[1]

内容[編集]

本作は、帰神の会に列席した「私」が、そのとき起こったことを「能ふかぎり忠実に」記録したという体裁をとって、二・二六事件神風特攻隊の兵士たちが次々と霊として下りて来て呪詛する模様が綴られてゆく。「などてすめろぎは人間となりたまひし」と繰り返される畳句が向かっているのは天皇である。二・二六事件の際の天皇の振舞いと、1946年(昭和21年)1月1日のいわゆる「人間宣言」で、天皇が「人間」になってしまったのを、兵士たちの霊は憤る。

あまりに強い怨念の霊の力を受け止めたために、霊媒師の青年・川崎重男が息をひき取るところで本作は終わる。その死顔が、川崎君ではない、「何者かのあいまいな顔に変貌しているのを見て、慄然としたのである」と締めくくられる。

作品評価・解説[編集]

橋川文三は、「二・二六における天皇と青年将校というテーマは、ほとんどドストエフスキーの天才に俟たなければ描ききれないであろうというのが、私の以前からの独断であった。それは何よりも神学の問題であり、正統異端という古くから魅力と恐怖にみたされた人間信仰の世界にかかわる問題だからである。(中略)ある至高の浄福から追放されたものたちの憤怒と怨念がそこにはすさまじいまでにみちあふれている。幽顕の境界を哀切な姿でよろめくものたちのの叫喚が、おびやかすような低音として、生者としての私たちの耳に迫ってくる。三島はここでは、それら悪鬼羅刹と化したものたちの魂が憑依するシャーマンの役割をしている。(中略)三島はやはりここで、日本人にとっての天皇とは何か、その神威の下で行われた戦争と、その中での死者とは何であったか、そして、なかんずく、神としての天皇の死の後、現に生存し、繁栄している日本人とは何かを究極にまで問いつめようとしている。これが一個の憤怒の作品であるということは、それが現代日本文明の批判であるということにほかならない」[2]と論評している。

加藤典洋は、「わたしの考えでは、1966年に書かれた『英霊の声』は、日本の戦後にとってたぶんもっとも重要な作品の一つである。(中略)わたしは、日本の戦後に三島のような人間がいてくれたことを日本の戦後のために喜ぶ。わたしがこう言ったとしてどれだけの人が同意してくれるかわからないが、彼がいるといないとでは、日本の戦後の意味は、大違いである」[3]と論評している。

最後の、「何者かのあいまいな顔に変貌」した川崎青年の死顔について瀬戸内寂聴は、この変容した顔が天皇の顔だといち早く気づき、三島さんが命を賭けたと思い手紙を送ったという。すると三島から、「ラストの数行に、鍵が隠されてあるのですが、御烔眼に見破られたやうです」という返事があったという[4]

『英霊の聲』の前段階作品として、「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし」の句で締めくくられる7編の歌からなる『悪臣の歌』[5]という試作がある。

島内景二は、『英霊の聲』と、三島が『近代能楽集』でも採用した『葵上』を対応させながら、「光源氏天皇」、「六条の御息所=兵士たち」という共通構造をみている。天皇を恋し、天皇を信じて決起し、裏切られて死んだ二・二六事件神風特攻隊の英霊たちに長時間打ち据えられ命を失う「川崎君」と、光源氏に裏切られ憎みつつも、それ以上に光源氏を深く愛している六条の御息所の怒りが、「葵上」へと向かい、激しい「後妻打ち」となったことの構図の類似性をみている。また、三島が『英霊の聲』創作ノートの中で、『霊媒死す。天皇の化身』と記していることに注目し、そこに、三島由紀夫の創設した会が「楯の会」と命名された真の理由を以下のように探っている[6]

島内景二は、「『醜の御楯』は、天皇のために楯となって天皇を守り、朝敵(外敵)と戦う勇敢な兵士、という意味だけではない。“楯の会”は、非業の死を遂げた、無数の英霊たちの鎮まらぬ天皇御自身への怒りを、天皇の身代わりとなって一身に引き受けるために作られた組織なのかもしれない。戦後日本は、昭和元禄という偽りの繁栄にうつつを抜かし、精神性よりも“金銭”と“物質的幸福”だけが物を言う世の中に成り下がった。そうなると、『神国』を護るために尊い命を捨てた無数の英霊たちの憤怒は、行き場を失う。このまま放置すれば、その怒りが天皇本人へと向かいかねない。だから『英霊の声』では、“川崎君”が天皇の代わりに死んでいった。『朱雀家の滅亡』では、天皇の代わりに、朱雀家の人々がいち早く滅びた。天皇の滅亡を少しでも遅らせる『楯』として、朱雀侯爵は自らの一族の滅亡を受け容れた。(中略)そのように三島由紀夫は、『天皇』あるいは『天皇制』の『醜の御楯』として、英霊たちの怒りを引き受ける役割を果たそうとした。英霊の怒りが理解できるから、その怒りを我が身に引き受けようというのだ。“川崎君”の死顔が天皇の顔に近づいたように、『天皇のために死ぬ』ことは『天皇として死ぬ』ことと同じである。 三島が「天皇陛下万歳」を三唱して自決した瞬間、彼は願った通りに、『天皇』の心を我がものとすることに成功しただろうか。 (中略)三島は『英霊』ではなく、『神』となることを目指したのだ。三島の霊は、祟らない。自決直後の新聞や写真誌の中には、三島の頭部の写真を掲載したものがあった。それを見た日本人の衝撃は、一生消えないだろう。(中略)『(三島の顔ではない)何物とも知れぬと云はうか、何物かのあいまいな顔』に変容していたかどうか」[6]と、『英霊の聲』の創作意図と、楯の会の名称と、三島と霊媒師・川崎君の死の接点を解説している。

エピソード[編集]

三島の母・倭文重は、「(三島から)『昨夜一気に書き上げた。出来上がってしまったのだ』と渡されたのだが、一読して全身の血が凍る思いがした。どういう気持から書いたのかと聞くと、ゾッとする答が返って来た。『手が自然に動き出してペンが勝手に紙の上をすべるのだ。止めようにも止まらない。真夜中に部屋の隅々から低いがぶつぶつ言う声が聞える。大勢の声らしい。耳をすますと、二・二六事件で死んだ兵隊達の言葉だということが分った』 怨霊という言葉は知ってはいたが、現実に、公威(三島の本名)に何かが憑いている様な気がして、寒気を覚えた」[7]と語っている。

肉声・音声化[編集]

『英霊の声―三島由紀夫作「英霊の聲」より』(EPレコード[8]

1970年(昭和45年)4月29日にクラウンレコードより発売。
作曲・編曲:越部信義。朗読:三島由紀夫。竜笛:関河真克。演奏:クラウン弦楽四重奏団
題字「英霊の声」(ジャケット):三島由紀夫。
A面は『起て! 紅の若き獅子たち―楯の会の歌』(作詞:三島由紀夫。作曲・編曲:越部信義。歌唱:三島由紀夫と楯の会)[8]
関連音声

『ポエムジカ 天と海―英霊に捧げる七十二章』(LPレコード

1967年(昭和42年)5月1日にタクトレコードより発売。
詩:浅野晃。作曲・指揮:山本直純。朗読:三島由紀夫。演奏:新室内楽協会
題字(ジャケット):安岡正篤
ブックレットに「謝辞」(浅野晃)、「<天と海>について」(三島由紀夫)、「作曲者の立場から」(山本直純)掲載。

『ポエムジカ 天と海―英霊に捧げる七十二章』(LPレコード

1970年(昭和45年)12月に日本コロンビアより発売。
詩:浅野晃。作曲・指揮:山本直純。朗読:三島由紀夫。演奏:新室内楽協会
題字(ジャケット、ブックレット綴込):三島由紀夫。
ブックレットに「謝辞」(浅野晃)、「<天と海>について」(三島由紀夫)、「作曲者の立場から」(山本直純)、ジャケットに「亡き三島由紀夫氏に」(無署名)掲載。
※ のちに1971年(昭和46年)1月に再発売されるが、ジャケット装幀は1967年(昭和42年)5月発売のもの(題字:安岡正篤)と同じになる。

『ポエムジカ 天と海―英霊に捧げる七十二章』(カセットテープ

1970年(昭和45年)12月12日にタクト企画・ケイブンシャより発売。
詩:浅野晃。作曲・指揮:山本直純。朗読:三島由紀夫。演奏:新室内楽協会
ライナーノートおよびケースのジャケットに「<天と海>について」(三島由紀夫)掲載。
カーステレオテープ版も同時発売。

舞台化[編集]

1人語り文学夜話第12夜

1991年(平成3年)3月22日 - 23日 東京・ストライプハウス美術館
演出:松枝錦治

おもな刊行本[編集]

装幀:楱地和。布装。貼函。同時収録:憂国十日の菊二・二六事件と私
帯(裏)に「二・二六事件と私」より抜粋された「三つの作品の意図」と題する文章。
カバー装幀:横山宏輔。紙装。同時収録:憂国十日の菊二・二六事件と私
付録・月報として、書評:山崎正和日沼倫太郎。文芸時評:山本健吉
口絵写真1頁1葉(著者肖像写真。撮影:細江英公
カバー装幀:楱地和粟津潔
付録・「著者ノートにかえて」として、「二・二六事件と私」抄、「朱雀家の滅亡」後記。書影など写真4葉。
  • 文庫版『英霊の聲』(河出文庫・BUNGEI Collection、1990年10月4日)
カバー装幀:菊地信義粟津潔。付録・解説:富岡幸一郎「死の『神学』」 。
同時収録:F104朱雀家の滅亡、「道義的革命」の論理―磯部一等主計の遺稿について、「二・二六事件と私」抄、「朱雀家の滅亡」後記
  • 文庫版『英霊の聲 オリジナル版』(河出文庫、2005年10月5日)
同時収録:憂国十日の菊二・二六事件と私
  • 『文豪怪談傑作選 三島由紀夫集 雛の宿』(ちくま文庫、2007年9月10日)
カバー装幀:山田英春金井田英津子。付録・解説:東雅夫「幽界(ゾルレン)と顕界(ザイン)と」 。
同時収録:朝顔、花火、切符、鴉、英霊の聲、邪教、博覧会、仲間、孔雀、月澹荘奇譚雨月物語について、柳田國男遠野物語」―名著再発見、泉鏡花―日本の文学4、内田百閒―日本の文学34、川端氏の「抒情歌」について、ポップコーンの心霊術―横尾忠則論、小説とは何か

脚注[編集]

  1. 田坂昮『増補 三島由紀夫論』(風濤社、1977年)
  2. 橋川文三『中間者の眼』(三田文学 1968年4月号に掲載)、橋川文三『三島由紀夫論集成』(深夜叢書社、1998年)に収む。
  3. 加藤典洋「その世界普遍性」(『決定版 三島由紀夫全集第21巻・戯曲1』付録・月報)(新潮社、2002年)
  4. 瀬戸内寂聴『奇妙な友情』(群像 1971年2月号に掲載)
  5. 『決定版 三島由紀夫全集第20巻・短編6』(新潮社、2002年)に収む。
  6. 6.0 6.1 島内景二『三島由紀夫―豊饒の海へ注ぐ』(ミネルヴァ書房ミネルヴァ日本評伝選、2010年)
  7. 平岡倭文重『暴流のごとく―三島由紀夫七回忌に』(新潮 1976年12月号に掲載)
  8. 8.0 8.1 『決定版 三島由紀夫全集第41巻・音声(CD)』(新潮社、2004年)に収む。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

三島由紀夫
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